
やすだ・ゆうすけ。発達障害(ASD/ADHD)によるいじめ、転校、一家離散などを経て、不登校・偏差値30から学び直して20歳で国際基督教大学(ICU)入学。卒業後は新卒で総合商社へ入社するも、発達障害の特性も関連して、うつ病になり退職。その後、不登校などの方のための学習塾「キズキ共育塾」を設立。経歴や年齢を問わず、「もう一度勉強したい人」のために、完全個別指導を行う。また、不登校の子どものための家庭教師「キズキ家学」、発達障害やうつ病の方々のための「キズキビジネスカレッジ」も運営。
こんにちは。大学に行きづらい方の今後の進路やメンタルを完全個別指導で応援するキズキ共育塾・大阪校の木原彩です。
この記事をご覧のあなたは、大学に通えていない大学生ではありませんか?
そして、「大学生で不登校になるなんて、自分はもうダメだ」と自分のことを責めているのではありませんか?
ご自分を責めないでください。
私もかつて大学で不登校になり、当時は大変つらい思いをしましたが、今は大学に通えていますし、充実した毎日を過ごしています。
私は、支えてくれる人のおかげで立ち直ることができました。
今回の記事は、私と同じように不登校で苦しんでいる大学生のあなたに何かできればと思って書くものです。
あなたが次の一歩を踏み出すきっかけや、将来に希望を持てるきっかけになればと思っています。
目次
あなたは、次のようなことを思っているかもしれません。
しかし、不登校の大学生は少なくありません。
全大学生の2.68%が不登校であるという研究もあります(「大学生の不登校者数の推定と実態把握」/2010年/井出草平氏、水田一郎氏、谷口由利子氏/日本教育社会学会大会発表要旨集録 (62) 76-77)。
100人の大学生がいれば、2〜3人は不登校になる可能性がある、ということです。
不登校の大学生は、決してあなた一人ではないのです。
大学生も、様々な理由で不登校になります。
キズキ共育塾の生徒さんにも「大学生で不登校になった方」がいます。次のように、不登校になった理由は人によって様々です(一例です)。
また、大学とは直接関係がなくても、次のような理由で不登校になったというケースもあります(これも一例です)。
より詳細な例を紹介します。
大学で失敗が重なって、自分が嫌になってしまったAくんです。
「小さいころからずっとがんばってきて、希望の大学に入学しました。でも、大学に入学して、勉強でも人間関係でも失敗が重なってしまったんです。自分はがんばってきたはずなのに、こんなんじゃこの大学に通う資格がないって思ってしまって…。いろんな感情が沸き上がって、周りとの関係を絶って、不登校になりました」
もともと人見知りな性格で、大学入学後に一人暮らしを始めたBさんです。
「大学入学までは、知らない人と関わることがあまりなくて…。高校までは、昔から仲のいい人がいたし、家族もいました。でも大学には知り合いもいないし、家に帰っても一人だし、でも自分から知らない人に話しかけないといけない場面も多くて…。結局、それが嫌で大学に通えなくなってしまいました」
こうした話は、一例に過ぎません。
上に挙げた以外にも、大学生が不登校になるきっかけはたくさんあります。
きっかけや理由がなんであれ、まずはどうか、ご自分を責めず、大変な中でも前に進もうとしていたご自分を「がんばったね」と認めてください。
大学生で不登校になると、「自分はもうダメだ」と思ってしまうことはよくあります(私もそうでした)。
ですが、あなた以外にも同じような苦しみ・悩みを抱えている人は大勢いるということは、苦しい状態から抜け出せるように相談に乗ってくれる人も少なからずいるということです。
そして、私や、似たような経験をした友人、キズキ共育塾の生徒さんなどの例から見ても、大学生で不登校になっても、次の一歩に進めます。
次のように、いろいろな選択肢があります。
どのような進路を選ぶにせよ、そして不登校のきっかけが何にせよ、「あなた一人で悩まずに、適切に他人を頼る」ということが重要です。
お悩みの最中にいるあなた本人が一人で悩んで思い詰めても、ますます暗い気持ちになったり、よい結論は出なかったりすることが多いからです。
私自身も、一人で悩んでいたときは答えが出ずに将来への希望をどんどん失っていきましたが、支えてくれた人のおかげで登校を再開することができました(後述します)。
大学の生活相談部署、ゼミや語学の先生、大学内外のカウンセラー、外部の支援団体(私たちキズキ共育塾もその一つです)など、大学生への支援を行う方々にご相談ください。
大学によっては、対面ではなくメール等で相談に乗ってくれるところもあります。
不登校の状態で人と話したり、助けを求めたり、自分の内面を伝えたりすることは、心理的にハードルが高いかもしれません。次のように、お悩みを抱え込んでいませんか?
ですが、どうか人の助けを借りてください。
人に支えられて苦しい日々を乗り越えることができた私からのお願いです。
最後に、私がどのような理由で、大学生で不登校になり、その状態を抜け出したかお伝えします。
ちょっと特殊な話かもしれませんが、「大学生はいろいろな理由で不登校になる」一例としてご覧ください。
私が今の大学に入った理由は、「教員免許を取得して、将来は小学校の先生になりたい」と思ったからです。
入学後、学外でも積極的に子どもと関わるために、小学生向けの塾でアルバイトを始めました。
詳細は省きますが、そのアルバイトで無力感を覚える経験をしたのです。
私は、「こんな無力な自分には、学校の先生になる資格はない。生きている価値もないし、もう何もできない」と考えて引きこもりがちになり、不登校になりました。
今振り返ると、もともと抱えていた「生きづらさ」が、無力感をきっかけに爆発したんだと思います。
一人きりで、何も手につかず、これからどうするか全くわからない状態でした。
そんな私を支えてくれたのは、大学のゼミの先生でした。
私が大学に通えていないことにすぐに気がつき、気にかけてくださいました。
先生は、私の悩みにとことん耳を傾けてくれました。
なんとかこなした課題は、出席しなくてもメールで添削してくれました。
そんな先生の支えがあって、私は少しずつ前に進み、ゼミの課題をやり遂げるという成功体験を積むことができました。
自分の将来に対しても、再び希望を持てるようになり、大学への通学を再開できました。
ゼミの先生は、臨床心理士としてもたくさんの人と向き合っています。
現在の私は、この先生のように「人の心に寄り添える人になりたい」と考え、臨床心理士を目指しています。
私を信じて寄り添ってくれたゼミの先生に改めて感謝します。
私は、積極的に人を頼ることができずに苦しみ、たまたまゼミの先生に助けられました。
繰り返すように、あなたは、どうか人の助けを求めてください。
この章では、お悩みを抱える方々のための個別指導塾・キズキ共育塾の講師たちによる、「大学不登校」についてのアドバイスを紹介します。
実際に「大学不登校からの学び直し」をしている人たちと接している講師の「生の声」ですので、きっと参考になると思います。(これまでの内容もキズキ共育塾の知見に基づくものであるため、一部重複する部分もあります。また、講師名は仮名の場合もあります)
私たちキズキ共育塾の無料相談では、「実際のあなた」のための、具体的なアドバイスが可能です。ぜひご相談ください。
学生相談室を利用する
私は大学時代の自己管理が大変苦手でした。提出物の締切オーバーで冷や汗をかいたこともしばしばです。そんな学生を救うために、最近の多くの大学では「学生相談室」というのを設置しています(大学によって名前が違うこともあります)。私も週1で通っていました。
大学不登校に関係する「不安」には、勉強がわからない、単位は取れるのか?進級できるのか?卒業できるのか?就職はできるのか?など、様々にあることでしょう。
「学生相談室」は、そんな不安について、解決の方向に向けて一緒に考え、アドバイスしてくれます。友人関係や家族関係の悩みも話せます。自分の大学の相談担当部署を調べて、相談してみることをオススメします(「不安の相談」以外にも様々なサポートがある場合もあります)。
繰り返すとおり、大学不登校を経験しているのは、筆者や、読者であるあなただけではありません。
この章では、お悩みを抱える方々のための個別指導塾・キズキ共育塾の講師たちが、大学不登校から「次の一歩」に進んだ体験談を紹介します。
「大学生も、様々な事情で不登校になる」「そして、『次の一歩』そのものや、『次の一歩』に進む方法もたくさんある」という事例としてご覧ください。きっとあなたの参考になると思います。(講師名は仮名の場合もあります)
Y.K講師の体験談
中学・高校までの授業では、復習して自分なりに理解し直して、テストの点数を取ることができました。しかし、(私が進学した)大学の授業では「友だちと同じ授業を履修し、協力し合う」「先輩に試験の過去問を貸してもらう」などの力も必要でした。私はそういった協力プレイが苦手で、地道な努力もしなかったため、授業に出られなくなり、単位を落とすようになりました。
サークルの先輩や学部の友人には、そういった悩みを打ち明けられずにいました。親切な知人は「単位、大丈夫?」などと心配してくれましたが、自分の弱みを知られたくないような気持ちになり、返事をにごしてやり過ごしていました。
そして、そんな私を見かねた母に勧められたことで、カウンセリングと精神科を受診しました。カウンセラーや精神科医といった方々には、包み隠さず相談することができたのです。その結果、それまで私が「怠け」と思っていた不登校は、実は「精神的な性質によって仕方なく起こっている」ということがわかりました。それ以降、私は自分を卑下することなく自己を尊重し、人生と前向きに向き合えるようになったのです。
このように、直接関係のある近しい人よりも、属しているコミュニティと関係のない人の方が、悩みを打ち明けたり頼ったりしやすいものです。私たちキズキ共育塾も、そのような存在だと思います。キズキの講師は、勉強を教えるだけではなく、精神的なサポートや進路相談もできます。自分が悩んでいた頃に、キズキがあればさらによかったな、と思います。
S.M講師の体験談
私は以前、ある大学の医学部に通っていました。現役で合格して喜び勇んで入学したはいいものの、先輩や同級生が自分よりもはるかに大人に見えました。おそらく私が中高一貫の男子校という「慣れ親しんだ友人と話すだけでいい環境」で過ごしてきたからでしょう。
それでも奮起して活動時間の長い部活にも入り、自分なりにがんばっているつもりでした。しかしある日、人間関係・学業関係の負担が一気に重なり、緊張の糸がぷつんと切れてしまいました。人生で初めての一人暮らしで、実家とは違って家族の支えがなかったのも、いま思えば大きかったです。
すぐさま私は母に電話し、実家に帰省しました。両親と相談した結果、「もう一度通ってみよう」ということで、1週間後に登校を再開してみたものの、初日でもう頭が重く、「これは通えない」と思いました。以降は実家に戻り、その大学は結局中退しました。
しかし私の場合、「別の大学ならなんとか通えるのではないか」とは思っていました。そこで両親の助けもあり、大学を辞めたその年に再受験を決意。最終的には東京工業大学に入学しました。
東工大での生活は、コロナの影響などもあってか、いわゆる「キラキラした大学生活」のイメージとはほど遠いです。ただ、一度「失敗」しているぶん、大学(生活)に変に期待しすぎることなくしぶとくやれているとは思います。「大学に行けば夢のような生活が待っている」と期待しすぎると、理想と現実の差が大きかったときに大きなダメージを受けるケースがあるのかもしれません(少なくとも自分の場合はそうでした)。
鈴木梨紗講師の体験談
私は大学2年生の秋学期に、学校の授業を受けられない時期がありました。
原因は、大学の授業に意味を見いだせずに1年次から単位を落としていたことや、家族関係・友人関係などのストレスがかかっていたことでした。
一人暮らしをしていたことも重なり、その状況を誰にも相談することができませんでした。毎日、ベッドの上でYouTubeを見たりゲームをしたりして、無気力に過ごし、朝に寝て夕方に起きるなど生活習慣も乱れていました。
私にとって次の一歩に進むきっかけになったのは、「睡眠」と「小さな成功体験の積み重ね」だと思っています。
まずは睡眠を十分にとることが必要でした。授業を受けられない罪悪感やストレスから落ち込んでいたメンタルを回復させるためです。
睡眠をとって少しずつ行動できるようになったときには、ハードルの低いことをこなして、それを自分の成功体験にして、自信をつけていきました。勉強は精神的なハードルが高かったため、まずは軽い散歩や家事をして少しずつ以前の生活に戻していきました。
私の場合は、授業を受けられるようになるまで3か月ほどかかりました。いまは大学4年生ですが、1~2年生で落とした単位も取得して、無事に卒業できそうです。
私の大学生活の半分は、コロナ禍の日々でした。人との交流が減り、オンラインでのコミュニケーションが中心の生活は、私にとって息苦しいものでした。一人で考えているうちに、いろんなことに集中できなくなって、人と話すことがつらくなっていきました。「うまく話せない」という感覚が強くありました。結局コロナが落ち着いて対面授業になっても回復せず、とうとう学校に行けなくなりました。
いまは、絶望からは抜け出せました。それは多分、これから先の将来が見えていなくても、「いまやってみたいこと」が見えてきたからです。この「やってみたい」は、「ちょっとでも自分の心が動く」ということです。地味で、進路などには繋がらない小さいことかもしれません。でも、その小さいことから始めればいいのだと思います。
「そういう話」ができる人がいると、いいかもしれません。ご家族でも、ゼミの先生でも、塾の先生でも、学校の相談所でも、「あなたのこと」を話してみてください。きっとあなたが思っているよりもうれしそうに聞いてくれるはずです。私も、近々ゼミの先生のところに行って、自分の話をしてこようと思います。
T.K講師の体験談
東京の某私立大学の工学部に通っていた私は、大学2年の5月頃から不登校になりました。朝、大学に向かおうとしても、身体が拒絶反応を示して動かないのです。
高校まではほぼ無遅刻・無欠席で、メンタルが原因で学校を休んだことがなかった私は、大きなショックを受けました。
不登校になった原因は、大学での勉強内容が非常に専門的で理解が難しい上、その内容自体にほとんど興味が持てず、学ぶ意欲・生きる意欲を失ったことだと思います。
自分自身、当時は何に興味があるかは漠然としていて、「なんとなく理系で工学部…」という感覚で大学・学部を選びました。「大学で○○について学びたい!」「大学を出て○○の場で活躍したい!」という明確な目標・テーマはありませんでした。一般論としては、大学生活を送るにあたり、目標やテーマは「絶対に必要なもの」ではないでしょう。ですが私の場合は、きっとそれが不登校につながったんだと思います。
途中で投げ出すことができなかった私は、苦しい身体を引っ張って、大学通いに何度も挑戦しましたが、やはりダメでした。そして親やいろんな方と様々に相談して考え抜いた挙句、大学を中退することに決めました。
その後、自分が本当に興味がある勉強・活動をじっくり考え、行動してきた結果、いまは家庭教師・塾講師として自分らしく楽しく活動しております。当時のことは、とても苦しい体験として残っていますが、不登校をきっかけに「自分が本当にやりたいこと」に軌道修正できたのは、よかったと思っています。
I.A講師の体験談
私は大学1年生の早い時期で不登校になりました。当時は自覚していませんでしたが、私は自分が思っていた以上にストレスを感じやすく、そのストレスへの対処法を知らなかったことが原因だったと思います。
特によく覚えているのは、「入居した寮での食事が口に合わず食をおろそかにするようになったこと」と、「必修クラスの先生と相性が悪く、授業に出るのが苦痛になったこと」です。
それらの問題を誰かに相談するということは頭になく、「自分がしっかりしなくては、できない自分がダメなんだ」と考えていました。そして、「できるときはできるのに、それが続かない」という状況は、徐々に私を追い詰めていき、次第に大学に行くのが怖くなりました。
結果的に私は中途退学し、実家に戻ってバイトと引きこもりを繰り返すようになりました。何をやってもダメで、私の努力が足りない。まともな人間になれない。そう感じていました。
そんな私が前に進めたのは、美容室で出会った1冊の本です。当時ベストセラーだった『嫌われる勇気』という、アドラー心理学についての本でした。
この中でいちばん私の心に刺さったのは「自分の人生の責任は自分しか取れない。だから他人の目や心情を気にする必要はない(要約)」という部分です。
誰と比較する必要もなく、誰と競争する必要もない。私は自分の人生の幸せを追い求めていいんだ、と気づきました。そしてその人生は自分の「今の行動」次第だということに。
その結果、私はすぐに実家を出て、いくつかバイトを経て資金を貯め、1年間で3か国の語学留学に行くことができました。そして今は働きながら、放送大学で心理学を専攻する通信大学生です。
私の人生を否定する人はいると思います。でもその人は私の人生の責任は取ってくれません。今でも悩むことはありますが、自分の「今の行動」に集中することを大事にしています。
これまでの話をまとめます。
大学生も、様々な理由で不登校になります。
あなたは、自分のことを責めているかもしれませんが、まずはご自分のことを認めてください。
そして、「自分はもうダメだ」と思っているかもしれませんが、将来は決して閉ざされていません。
「次の一歩」に進むためには、どうか人を頼ってください。
人に助けを求めることは、心理的にハードルが高いかもしれませんし、ためらいがあるかもしれません。
しかし、どうかあなた一人で悩まず、苦しまず、自分のことを決めつけず、誰かに助けを求めてください。
話すだけでも気が楽になりますし、あなた一人で悩み続けるよりも「よりよい方法」が見つかります。
あなたを助けてくれる人は、必ずいます。
あなたが少しでも楽になり、次の一歩に進めるよう、心から願っています。
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