中学までは自信があったが、高校受験失敗で自信喪失

中学までは自信があったが、高校受験失敗で自信喪失

小・中学校時代は、野球部でキャッチャーをしたり、生徒会に入ったりと、楽しい学生生活を送っていました。

勉強にも自信があって、「このまま高校受験も難なく終わる」と思っていました。

中学生のとき、すごく行きたい高校があったんです。

その高校は外国語教育に力を入れていて、「その高校に進学して、3年間フランス語を勉強してみたい」と思っていました。

挫折を経験したことがなかった自分は、高校受験もすんなり受かる気がしていました。

受験前から有頂天でした。

しかし、自信とは裏腹に、受験に失敗してしまったんです。

初めて挫折を経験した瞬間でした。

そして私は、滑り止めで受験・合格していた高校に通うことになりました。

ものすごく悔しかったですね。

「有頂天だったときの自分」と、「志望校に不合格で滑り止めの高校に通う自分」の落差が大きかったのを覚えています。

大学受験に向け、高校で猛勉強を開始

高校入学後は、「勉強ができない自分」に対する劣等感から、大学受験に向けて、休日返上で猛勉強を開始しました。

先生方も非常に面倒見がよく、土日でも交代で勉強を見てくれました。

部活もせず、「高校受験のときに、自分を置いて先に行った人たち」に追いつこうと必死でした。

高校1年生のときは、本当に勉強漬けの毎日でした。

先生から「覚えてきて」「予習してきて」と言われたら、その部分は完璧にこなした上で、さらにその先も予習しました。

なぜなら私の高校からは、志望校である早稲田大学・慶應義塾大学に毎年2、3人しか合格していなかったからです。

「大学受験に向けて、がんばらないといけない」と、日々追われていました。

ただ、そんな劣等感から生まれたがんばりが続いたのも、高校1年生の終わりまででした。

勉強のしすぎによる体調不良。引きこもりから高校中退へ

勉強のしすぎによる体調不良。引きこもりから高校中退へ

体がだるい…。

猛勉強を開始して1年が経った高校2年生の初め、疲労性の体調不良により学校に通えなくなりました。

ただ、「疲労性の体調不良だった」とわかったのはずっと後のことで、学校に行けなくなってすぐのときは、「自分のことなのに、理由もわからず体が動かない」という状況でしたね。

それ以来、自室に引きこもりがちになり、好きなゲームをする毎日でした(学校に行けていないので、「不登校」でもあります)。

学校に行けなくなったために、2年生の半ばで、進級のための出席日数も足りなくなりました。

私は、「留年」ではなく「高校中退」を選択しました。

高校中退後、体調も回復してアルバイトを開始。改めて大学受験を決意

高校中退の後も引きこもってゲームばかりの生活を1年ほど続けていたところ、だんだん気持ちに余裕ができてきました。

時間が解決してくれたのかもしれません。

学校に行けなくなったときには自分の体に何が起こっているのかもよくわからなかったのですが、この頃には、「無理しすぎていたのだ」と、少しずつ理解できるようにもなっていました。

やがて体調は安定して、「高校に在籍していれば、3年生の後半」くらいの時期からは、(小遣い稼ぎ程度ではありますが)アルバイトを始められるまでになりました。

アルバイトの開始によって徐々に生活リズムも安定しましたが、一方で、「高校中退」や「フリーター」に対する社会の厳しさも知ることになりました。

そして私は、自分の現状に危機感を覚え、19歳になる年の春、大学受験を決心しました(もちろん、高校中退やフリーターを一概に「ダメだ」と言うつもりはなく、あくまで「私の場合は」、ということです)。

「高校中退からの大学受験」を応援するキズキに入塾

「高校中退からの大学受験」を応援するキズキに入塾

「高校中退からの大学受験を決意した」…とはいうものの、大学受験のためには高卒認定(高認)資格を取らなければいけないし、学費のためにはアルバイトを続ける必要もあるし、高認も大学も独学で受験・合格する自信がないので塾(予備校)にも通わなくてはいけないし…と悩みはつきず、また、受験に向けて具体的にどう行動していいかもわかりませんでした。

悩み続けていたある日、キズキ共育塾のことを紹介している新聞記事をたまたま見つけたんです。

「不登校や高校中退からの大学受験を応援する」…そんな内容に興味を持って、面談(教室見学)を申し込みました。

面談で、代表の安田さんにそれまでの体調不良について話したところ、安田さんは、「程度の差こそあっても、誰でもそういった時期はあるよね」と言ってくれたんです。

この対応は、私にとって新鮮でした。

それまでは、自分の体調不良の話をすると、腫れ物に触るような扱いされることが多かったんです。

「ここだったら、自分のことをわかってもらえる」と思い、入塾を決意しました。

ブランクからの大学受験。最高の先生に出会う

高2の始めあたりから勉強をやめていたので、勉強するのは2年ぶりでした。

猛勉強して覚えていたはずのことも忘れてしまっていたので、キズキ共育塾では基礎から学び直しました。

最初は授業を受けるだけでも疲れる状態だったのですが、先生がその状態を理解してくれて、授業中に休みを入れながら授業を進めてくれました。

キズキ共育塾では、二人の先生と出会いました。

最初の先生には英語を見ていただきました。

勉強していない期間が長かったので、基礎的な文法を復習して徐々に本格的な大学受験への対策内容にシフトしていきました。

その過程で、先生は、宿題を強制したり、高い要求をしたりということを一切しませんでした。

基礎の重要性は強調しつつ、私にとって無理のない学習プランも組んでもらいました。

その結果、秋に受けた模試では、英語の偏差値は志望校の合格圏内まで達しました。

しかし、他の教科は全くの手つかずだったため、散々な結果になりました。

ブランクからの大学受験。最高の先生に出会う

そこで、英語は自習で勉強することにして、新たに社会科目と小論文の授業を受け始めました。

二人目の先生(宮川先生)からは、合格に向けて足りない部分をはっきり示してもらい、弱点克服を集中的に行いました。

加えて、宮川先生は私が志望する慶應義塾大学の現役学生でもあったので、学校の様子を教えてもらうなどしてモチベーションを高めてもらいました。

2人ともタイプの違う先生でしたが、私にとっては最高の先生でした。

高卒認定に合格。そして慶應義塾大学にも合格

話が前後しますが、アルバイトをしながらも、夏には何とか高認を取得できました。

これも、完全個別指導の授業で、自分にピッタリの先生に勉強を教わった成果だと思います。

高認取得後は、大学の受験勉強に集中することができました。

授業では、その科目以外の勉強法を聞けたり(例えば英語の授業中に小論文のことを聞いたり)、受験校について積極的に相談できたりすることも、大変ありがたかったです。

そういった後押しもあり、悔いの残らないようにベストを尽くし、最後の試験の日まであきらめずに勉強し続けることができました。

ただ、受験発表の時期、自信のあった大学にことごとく不合格で、最後に残すは慶應義塾大学の発表のみとなったとき、「もう無理かな」とも思いました。

しかし、その数日後、合格発表の日、パソコン画面に「合格」の文字が表示されていました。

生きててよかった、と心から思いました。

1年間勉強を続けられたことが自信に繋がった

勉強再開から大学受験までの期間で一番苦しかったのが、アルバイトをしながらの受験勉強をしていたということでした。

ほぼ休みがなかったため、体力的にも精神的にもつらく、ゲームに「逃避」してしまうこともありました。

結果として、普通の受験生と比べたら勉強量は少なかったかもしれません。

ですが、1年間がんばりきることができました。

そして、そのがんばりが、今の自分を肯定してくれています。

このがんばりは、自分一人でできたものではなく、先生に支えてもらったからこそのものであると思います。

今は、大学に通えることに喜びを感じ、大学生活に期待を膨らませています。

今この記事をお読みのあなたも、「高校中退からの大学受験」や「不登校からの大学受験」についてお悩みなら、キズキ共育塾にご相談してはいかがでしょうか。

心地よく話ができる先生と一緒に、目標に向かって勉強を続けられるようになるはずです。

※文中の写真は、全てイメージです。

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