原点は離島での生活 勉強ができる環境に感謝
私は鹿児島で生まれ、教師をしていた父のもとで非常に厳しい環境で育ちました。
また、父の仕事の関係で、転校を多く経験しました。
その一つが、種子島という離島でした。
小学校6年生から中学校2年まで住んでいた種子島は、学校の生徒数は少なかったです。
種子島という自然の中で、(失礼な言い方かもしれませんが)貧しい方々や農作業などが忙しくて勉強が思うようにできない子どもたちと友達になりました。
そのような人たちと触れ合う中で、さまざまな境遇の人がいることを学びました。
島内に塾などはなかったため、中学生のころから独学で学ぶスタイルを、身に着けました。
そして、「勉強ができる環境があること」の大切さを実感しました。
これが、私の原点になっています。
自分を見つめ直した高校時代 数学の道へ
高校のとき、父親が転勤となり、下宿生活を経験しました。
東京大学を目指して勉強をしていたので、生活スタイルが変わる下宿生活には抵抗がありましたが、父親の説得で、下宿生活が始まりました。
ここで、人生が大きく変わりました。
種子島時代とはまた違う、いろんな友達との付き合いが始まったのです。
結果として、友達や彼女と遊んだりして、勉強せずに過ごすようになりました。
もちろん、成績はかなり落ち、東京大学などは夢のような状況となりました。
そこで、進路や自分を見つめ直しました。
「自分には、何ができるのか」
考えた末、自分には数学しかないと思い、そこから数学の勉強に集中しました。
数学を勉強すると、何もかも忘れている自分に気づきました。
改めて、数学の奥深さを感じました。
そんなふうに、高校時代は友人とともに遊びつつも、自分の得意なことを伸ばすことに専念していました。
大学受験では、「数学の試験時間が3時間である」という理由から、東京工業大学を受験し、合格しました。
かなり偏った勉強だったため、また英語が全くできなかったため、そして受験料や宿泊費などの関係から、東京工業大学以外の私立大学はどこも受験しませんでした。
しかし、社会人時代には英語が得意になりました。人生はおもしろいものです。
若い人たちの人生の道を開く手助けができたら
社会人時代は、さまざまな方々と仕事をしてきました。楽しい会社員生活でした。
しかし、50代後半に体調を崩し、退職せざる得ない状況になったのです。
正直、悔しかったです。
そしてそのとき、「体調やメンタルの不調で思うような人生を歩めない方がいること」に、改めて気づいたのです。
私自身は定年も近づいていたため、「のんびりと人生を歩めばいい」と考えていましたが、若く、苦労なさっている人に「人生の道を開く手助けができたら」と思うようになりました。
そこで、出合ったのがキズキ共育塾でした。
キズキの生徒さんに私の得意なところを教えることで、生徒さんに新しい人生を歩んでもらえたら、と心から思いました。
私が生徒さんと関わる上で何より大切にしているのは、生徒さんの希望を叶えることです。
社会人時代に培ったプロジェクト管理という手法も活かしつつ、”私のお客様”と思いながら日々接しています。
悩みある人は強い人 前を向いていきましょう
自分だけ悩みがある、ということはありません。
どんな人にも、人に言えない悩みがあります。もちろん私にもあります。
人生には正もあれば負もある。「0」というのが結論です。
数学の「0」には非常に深い意味があり、インドで発見されたようです。
長い人生、いいこともあれば、わるいこともある、ということです。
だから、今を大切に生きるという姿勢が大切だと私は思っています。
今、あなたはいろいろな悩みをお持ちだと思いますが、悩みや弱みのある人間が、実は一番強い人間だと私は思います。
以前、大企業で活躍する多くの上役の方や有能な方と接してきましたが、意外と孤独で弱いところもあると感じました。
ですから、今の状況に落ち込まず、前を向いてほしいと思います。
勉強だけでなく、人生には他にもいっぱいいいところがあるのです。
それを、キズキで一緒に見つけ出しましょう!