自分を支えてくれた人のように、今度は自分が生徒さんを支えたい

自分を支えてくれた人のように、今度は自分が生徒さんを支えたい


向井達也【秋葉原校】
学習院大学文学部卒業
英語、数学、国語

向井達也(むかい・たつや。仮名)。1992年生まれ、東京生まれ、東京育ち。
厳しい中学校では優等生を演じる疲れを覚え、自由な高校では周囲に流されて無気力状態になり、第一志望の大学には受からなかった。
大学時代に児童養護施設の子どもたちとふれあったことで「一人ひとりに寄り添った個別的支援」の必要性に出会う。大学卒業後に専門学校で社会福祉士の資格を取得。
児童養護施設に就職するも、職場環境が合わずに退職。再び無気力状態になったが、家族や相談員に助けられる。
そして、「一人ひとりに寄り添った支援を行いたい、今度は自分が人の支えになりたい」と思い、キズキ共育塾の講師になる。
現在は、キズキ共育塾以外でも児童支援・家庭支援を行っている。趣味はテレビ鑑賞、運動、歌、食。


「厳しい中学校」で苦しみ、「自由な高校」で無気力に

私が通った中学校と高校は、校風がまるで異なっていました。

中学校はクラスが少なく、また制約が多くて厳しい環境でした。

各先生が、いや学校全体が一人ひとりの生徒と向き合ってくれている、という意味でもあります。

しかしながら、その環境が私を苦しめている部分もありました。

私は、優等生でありたい…というよりも周りから優等生と見られたいという思いが強く、「厳しい環境の中での自分の虚像づくり」に必死でした。

がんばったぶん得たことも大きかったですが、自分らしくのびのびと学校生活を送れた気はしませんでした。

一方、高校は生徒の自主性に委ねる気風の学校でした。

高校に進学した私は、中学と違う環境自体と、新たな環境での自分の変化や成長に期待していました。

ところが今度は中学校とのギャップが大きかったため、無気力気味になってしまったのです。

周囲に流され、勉強もあまり手がつかない状態になりました。

結果、大学受験も第一志望校は残念な結果に終わりました。

ですが、浪人生活を送る自分が想像できず、これからの社会で必要になると思い、そして何よりも自分が抵抗なく学べるということから、英語を専攻できる大学(学部)に進学しました。

こうして中高時代の生活を振り返ると、自分が不登校にならなかったのは偶然に過ぎないな、と思います。


児童養護施設の子どもたちと関わり、「一人ひとりに寄り添う支援」の必要性に気づ

大学生活は中学校や高校よりも長い4年間であり、一般的にはそれまでよりも自由な環境です。そうなると、予期せぬ出会いはあるものです。

恋人?その期待もあるでしょう!

しかし、私が大学で出会ったのは恋人ではなく、サークル活動から広がった出会い(新しい発見)です。

サークル活動で、児童養護施設で暮らす子どもたちや障がいを抱えた子どもたちと関わったことから、一人ひとりに寄り添う個別的支援の必要性を感じるようになったのです。

毎回の支援活動は短い時間ではありましたが、子どもたち一人ひとりとしっかり向き合うことで、表面だけではなく内面的なことまで見ることができました。

人間は本来、個人として独立しているのであり、支援の際も個人として尊重されるべきです。

ですが私が関わった施設は、組織としては「子どもたち一人ひとりを尊重する支援」、つまり「個別的支援」ができていませんでした。

子どもたちは「個別的支援」の必要性をうまく大人に伝えられず、そして支援組織側も様々な事情が重なって個別的支援ができないという状況だったのです。

この個別的支援の必要性との「出会い」が、以降の活動や仕事の選択に大きく影響しています。

大学卒業後に福祉の専門学校に通い、社会福祉士の資格を取ることにも繋がりました。

いつ、どこで、どういう人や出来事に出会うか、それが自分にどのような影響を与えるか、わからないものです。そんな偶然を日々楽しめるといいですよね。


就職後、職場が合わずに退職。再び無気力になるも、他人の力を借りてポジティブに

専門学校を卒業した後に、私は児童養護施設の指導員になりました。

「生きづらさを感じてしまっている子どもたちの側で一緒に歩んでいきたい」、「一人ひとりに寄り添う個別的支援を行いたい」と思っていたからです。

自分で申し上げるのも恐縮ですが、高い志をもって現場に飛び込みました。

ですが、就職した施設の職場環境や人間関係が、どうしても私に合わなかったのです。

子どもたちの中には、親から見捨てられて疎遠になってしまっている子どももいました。

そのことも考えると、保護者の代わりを担う自分が中途半端に現場を退くことに強い抵抗があったのですが、悩み苦しんだ結果、退職することにしました。

退職直後は、高校のときよりもひどい無気力状態になってしまいました。

動物に本来備わっているはずの「欲」が何一つ表出されないような状態でした。

過去のこととこれからのことを考えて考えて、思考が行き来して前に進めませんでした。

幸い実家暮らしであったため、家族の存在は大きな支えとなりました。

また、専門の相談員さんにもお世話になりました。

他人の助けも借りることで、「今はエネルギー充電期間なのだ、支えてくださる人がいる、今を生きよう」と徐々にポジティブな思考に変化していったと思います。


キズキ共育塾で、今度は自分が人を支える側になりたい

さて、私とキズキ共育塾の出会いは、キズキ共育塾が掲載されていた朝日新聞の記事を見たことがきっかけです。

気になった新聞記事はスクラップして取っておくのですが、キズキ共育塾のことはスクラップを見返さなくてもよいくらい、頭と心に残りました。

ですが、記事を見かけたときは他のことで忙しかったため、自分が講師になるということは考えませんでした。

そしてその記事を見かけてから何年か経った頃、前述のとおり、前職を辞めました。

退職後の無気力状態から脱出し、「これから何をしていきたいか」と自問自答していた際に、キズキ共育塾の講師になる選択肢が表面化しました。

キズキ共育塾で働こうと思った理由の一つ目は、大学時代に必要だと思った「個別的支援」を自分で実施できることです。

そして二つ目は、退職後にお世話になった相談員のように、今度は私が誰かの支えになりたいと思ったことです。

ほかの個別指導塾での講師経験もありましたが、そこは偏差値重視・科目指導一色でした。

そういう環境が合う講師や生徒さんもいるのでしょうが、私としては、生徒さんの思いや実状も含めた全体像を捉えることができないままの指導になってしまうため、「本当に生徒さんのための指導ができているのかわからない」というジレンマを抱えていました。

何かにチャレンジする際には、悩みや不安はあると思います。勉強にチャレンジしているときも、勉強以外に必要なこともあるかもしれません。

勉強だけではなく、授業中に雑談や相談もできるキズキ共育塾なら、生徒さんとしっかり向き合うことができると思いました。

実際に働き始めて、キズキ共育塾には生徒さん一人ひとりと向き合う貴重な空間と時間があると思っています。


あなたの悩みや苦しみを理解する人は、きっといます

あなたの悩みや苦しみを理解する人、あなたをサポートする人はきっといます。

そんなことを言われても、あなたは、
「自分の苦しみは自分以外の人にわかってもらえるはずがない」
と思うかもしれません。

私も、中高時代や退職後にはそう思うこともありました。

そんなときは、まず、ちょっと休養しましょう。

休養は、自己を守る正当な選択です。

そして気持ちが落ち着いてきたら、信頼できる人に自分のことを話してみましょう。

私もそういう人たちのおかげで、苦しむたびに助けられてきました。

もし身近にそういう人が思い当たらないようでしたら、お気軽にキズキ共育塾にご相談ください

きっとあなたの力になれると思います。


保護者さまへ

保護者さまはお子さまの身近で一番に思いを巡らせているため、感情のコントロールなどが難しくなることもあるかもしれません。

また、自責の念に駆られたり後悔を感じたりしていらっしゃる方もいらっしゃるでしょう。

そうなってしまうのは、保護者としてある意味自然なことです。

ですがぜひ、これからのことを、希望を持って考えていただきたいと思います。

お子さまの希望の灯を消さないために、保護者さまが特別なことをする必要はありません。

「いざというときに守ってくれるんだ」とお子さまが思ってくれるような関わりの継続が、お子さまが前進するためのエネルギー源です。

とは言え、具体的に何をしたらいいのかわからないということもよくお聞きします。

私たちは全員、お子さまを含めたご家族の味方です。

保護者さまだけのご相談も可能ですので、お気軽にキズキ共育塾へご相談ください

それぞれのお子さまに応じた、より具体的なお話ができると思います。


※本文中の写真は、全てイメージです


他の講師紹介を読む

キズキ共育塾トップページへ

キズキは、不登校・中退・ひきこもり・再受験などもう一度勉強したい人のための塾です。