挫折を物語に変えるということ
僕が経営するキズキ共育塾(不登校・ひきこもり・中退者向けの学習塾)には、不登校の中学生、高校を中退したばかりの子、引きこもり経験者など、様々な困難を抱えた若者たちが、高校受験・高認受験・大学受験等を目指して通ってくれている。
状況は様々だけれども、彼らに共通しているのは、「大きな挫折を経験している」ということだ。
「もう2×歳になってしまった。周りは働いているのに…」 「二度と、普通に生きられないかと思うと怖い…」
毎週のように、そんな若者たちがキズキにはやってくる。
そんな彼らに対して僕が伝えるのは、意外に遠回りも悪くないよ、ということだ。
僕も、親の相次ぐ離婚、暴走族、うつ病etc、色々なことを経験してきたけれども、だからこそ今の事業ができた。
そんな経験のおかげで、家族に問題を抱えている若者の気持ちもわかるし、保護者の相談にも乗れる。
不良時代の写真はプレゼン時の掴みとしては最高だし、うつ病を経験したことで「引きこもり」の若者の相談に乗れることも多い。
10代の頃の挫折は、20代後半になって、一本の線で繋がったように思う。
僕の周りの優秀な人たち、それも高い年収を得て、有名な会社で働いている人たちの中で、何か「物足りなさ」を感じている人は多い。
「自分が本当にやりたいことは何なのかわからない」という話をよく聞く。
能力をつけて誰もがうらやむ地位や収入を手に入れたとしても、それだけだと「空虚さ」のようなものを抱えてしまうらしい。
けれども、何かしらの原体験のある僕らは、ラッキーだ。
やりたいことを行うためのハードルの高さに苦しむことがあっても、「やりたいことが見えない」悩みは少ない。
生きる上で直面する多くの選択の中で、「自分がどの物語を選ぶべきなのか」、その判断基準に迷うことも少ない。
僕の好きな言葉に、マッキンタイアという政治哲学者の言葉がある。
「『私はどうすればよいか?』という問いに答えられるのは、それに先立つ『私はどの物語のなかに自分の役を見つけられるか?』という問いに答えられる場合だけだ」(マッキンタイア『美徳なき時代』)
小さくても首尾一貫した自分なりの物語を歩むことの方が、幸福や自己肯定感には繋がるのかもしれないと僕は思う。
「いまは不登校だけど、進学したい…」
「通信制高校に通いながらも受験が不安…」
「勉強の仕方が分からない…」
そんなお悩みがありましたら、キズキ共育塾にお気軽にご相談ください。
※2018年4月、安田の自伝本『暗闇でも走る 発達障害・うつ・ひきこもりだった僕が不登校・中退者の進学塾をつくった理由』が講談社から出版となりました。
詳細は講談社公式サイトをご覧ください。
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