希望進路が親と合わずに成績が下降、受験に失敗
中学までは「普通」に過ごしていた僕は、家業の関係で、親から「医学部に進学し、将来は医者になるように」と期待を受けていました。
僕自身も最初はそのように考えていたのですが、高校在学中に考えが変わりました。
もともと英語が得意ということもあり、世界全体のことに興味を持ちました。
いろんな外国の文化も好きだったことから、「国際的なこと」を学びたくなったんです。
そして高校在学中に進路変更について親に相談したのですが、「OK」という回答はありませんでした。
進路のことをきっかけに、親との関係について悩み続けるうちに成績は下がりました。
入学当初は上の方だった成績も、最後の方は最下位に近いくらいでしたね。
結果として、現役時代の受験は、どこにも合格しませんでした。
そして浪人生活が始まります。
勉強のために上京するも、うつ病を発病。勉強どころではない状態に
高校までは東海地方に住んでいたのですが、浪人生活の開始とともに東京で一人暮らしを始めることになりました。
地元で通っていた大手予備校の先生に、東京にある系列の予備校を勧めてもらったからです。
この時点で、医学部進学を期待する親には「医学部は目指さない。国際関係について学べる大学に行きたい」とはっきり伝えていました。
相変わらず親は「OK」とは明言しないものの、予備校代も、一人暮らしにかかるお金も出してくれたので、暗黙の了解と理解しました。
そして上京。
予備校でしっかり勉強して、合格を目指すぞ…と思っていたのですが、7月くらいにうつ病になったのです。
振り返って思うと、親との関係性について、「親は自分の進路について暗黙の了解をくれている」と頭では考えているものの、やはり心の中ではモヤモヤと気になっていたことが原因かもしれません。
浪人3年目の春、体調がよくなっていき、キズキを見つける
うつ病があっても、病院に通いながら受験も乗り切れるはず…と思ったのですが、病状が悪化して、1浪目の受験は断念しました。
そして浪人2年目を迎えます。
病状がよくなったときのために、予備校に所属だけはしておこうと継続の申し込みを行ったところ、「2浪目以降は受け付けていない」と言われました。
ショックでしたね…。
何か理由を聞ければ納得できたのかもしれないのですが、理由は特になく、「受け付けていない」と。
たった1年の経過で、「勉強できる環境」がなくなってしまいました。
ただ、浪人2年目も病状は変わらず、結果として勉強は何もできませんでした。
そして浪人3年目を迎える頃、ようやく病状がよくなっていったのです。
「やっと勉強に取り組める」という安心もあり、また「動かないとまずい」という不安もありました。
そんなときに、ブランクのある人のための塾を探して、キズキ共育塾を見つけたんです。
うつ病の関係で変わった体型や生活を戻していく
しかし、すぐに相談に行くのはためらわれました。
なぜなら、体重は発病前から何十キロも増えてちゃんと着られる服がなく、髪も伸ばしっぱなしだったからです。
それは、一人暮らしのまま闘病していたこともあって、病状がよくなる直前までひどい生活をしていたことに関係します。
病状と薬の副作用が関係していることはわかっているんですけど、「最悪だな…」と思っていました。
人の目が怖くて昼間に外出できず、食べるものは夜にコンビニに出かけて買っていました。
ただそれも面倒になって、ネット通販でカップ焼きそばを「2か月分」と思った量を買って、でも2週間くらいで食べ切ったりしていました。
そうなるとさらに体重も増えて肌もボロボロになる…という悪循環の中にいましたね。
そんなときに病状がよくなってキズキ共育塾を見つけたんですけど、すぐに相談には行けませんでした。
キズキ共育塾のためだけ、というわけではないのですが、「こんな不摂生な見た目では、人前に出られないな」と思ったんです。
自尊心がなくなっていて、自分でも鏡を見られませんでした。
髪を整えたいけど、体型が変わっているので「ちゃんとした外出」のための服がないという状態です。
そして、「通販でこの体型に合う服を買うと、この体型のままになりそう」という心配もあって。
そのため、まずは夜にランニングを始め、並行して食事も健康的なものに変えていきました。
すると次第に体重が減り(2か月で15kg減)、外出用の服が着られるようになったんです。
そこで美容院に行って髪も切り、前よりも健康的な見た目になってきました。
そしてようやく、キズキ共育塾に相談に行けたんです。
浪人3年目の5月くらいのことでした。
キズキに入塾。キズキに行くことも、外出自体も楽しみに
キズキに相談に行ったときは、焦っていて、居場所がほしいと思っていました。
実際にスタッフさんと話をする中で、「ここならお世話になれそうだな」と思って安心したのを覚えています。
ブランクOKな他の塾も見つけていたのですが、キズキの方が「うつ病経験者の学び直し」に実績や理解がありそうだったので、キズキに入塾しました。
入塾当初は、人の目が気になって電車に乗るのが怖かったですね。
ただ、キズキでは昼間の時間帯に授業を受けていて、その時間は電車が空いていたのはよかったです。
入塾してからは、キズキに行くことも、外出自体も、楽しみになりましたね。
「人の目が怖い」という状態はすぐには変わらなかったのですが、それでも。
特に勉強に限って言えば、ずっと家にいると電源が入らなくて、キズキに行くことでスイッチが入っていました。
振り返ると、「より勉強できていた日」は、キズキの授業があった日です。
忘れていた勉強内容。基礎からの学び直しを開始
キズキの授業は、楽しかったですね。
完全個別指導で、自分と目標に合わせた授業をしてくれました。
ただ、入塾当初は、かつて勉強したことの内容を結構忘れていました。
得意だったはずの古文でも、いろんな知識が抜け落ちていて、ショックでしたね…。
そのショックも克服しながらの勉強再開でした。
最初に使った教材は、先生と話して、「まずは基礎からの学び直し」という観点で選びました。
基礎の部分は、勉強が得意だった高校1年生とか2年生とかの内容なので、「そこから…?」と思ってちょっとイヤな部分もありました。
ですが、「実際にできていない」という現実があるので、「ちゃんとやらなきゃな」と気持ちが引き締まりました。
一方で、うつ病で本当にやばかったときは、文章を1行読んだだけで動けなくなっていたんです。
書かれてる古文の意味は理解できなくても、1行読んだ後に次の行まで読み進められたのは、すごく嬉しかったですね。
そんな状態から勉強を再開し、基礎を固めながら、次第に志望校に向けた勉強にシフトしていきました。
キズキの先生たちは、悩みを抱える自分の大きな支え
キズキに入塾したときは回復期に入っていたとは言え、発病前の自分を100%とすると、入塾当初は30%くらいで、ゆっくり上がって行って、大学受験後の今でやっと90%くらいです。
また、ずっと上り調子ではなく、調子は山あり谷ありでした。
何かきっかけがあるわけではなく、朝起きたら、突然「なんか動きたくない」「なんかすごく落ち込んでる」といった状態になるんですよね。
そんな状態でもなんとかキズキに行けた日は、正直に先生に打ち明けていました。
キズキのスタッフや先生たちは、そういう状態について理解がありました。
その日の授業では勉強の話はせずに雑談だけやって…みたいなことをしてくれて、本当に助かりましたね。
キズキの先生たちには、本当に感謝しています。
高校までの先生とか、友達とか、お医者さんとか、親とかにももちろん感謝してるんですけど、それとは全く異なる方向性の感謝というか。
先生と少しずつ打ち解けていってから、先生の昔の話とか、先生の子どもの話とかも聞くようになったんです。
高校までの学校や以前の予備校では、「先生」という人たちと個人的な話をすることはほとんどありませんでした。
ですが、キズキの先生たちとはいろんな話をしました。
特に印象に残っているのは、先生たち自身の「困難だったときの話」です。
「昔、こういう失敗をした」
「悪い時期もあったけど、振り返ると、その時期が今の自分を作り上げた」
「こういう落ち込み方をしたときは、こういう方法で回復した」
そういう話は、うつ病からの回復期にある自分にとって直接的な参考にもなりましたし、「自分のために話してくれている」と思うとうれしかったですね。
記念受験のつもりが、まさかのICU合格
勉強時間は、体調の波の関係で、ちゃんと勉強していた頃(高校1〜2年生時代)と比べるとしっかりは取れませんでした。
その証拠に、高校生のときから勉強のときに使っているボールペンがあります。
ちゃんと勉強していた高校生時代は、そのボールペンの芯は1〜2週間で消費していたんですけど、勉強を再開してからはインクがほとんど減ってないんです。
とは言え、キズキに入ってからの勉強を振り返ると、「勉強時間が減った」以外に、「書く以外の勉強方法(音読、黙読など)を身に付けた」ということも原因だと思います。
さて結果として、私は国際基督教大学(ICU)に合格し、進学します。
実は、受験直前の12月くらいまで、ICUは受験するつもりさえなかったんです。
名前や学べる内容は漠然と知っていたので、「自分の志望する、国際分野の大学だな」とは思っていたのですが、受験が難しい大学ということも知っていたので、「無理だろうな」と。
ただ、当時の第一志望校を低く見ていたわけではなくて、本気で目指していました。
…というような話を先生にしたら、「せっかくだから受験してみたら?」「もう基礎は固まっているから、第一志望校のための勉強を優先させつつ、ICUの対策もできるよ」と。
そこで、第一志望はあくまで変えず、ICUは記念というか、チャレンジというか、そんな感じで受験したところ、「まさかの」合格でした。
第一志望校にも合格していたのですが、第一志望校とICUをよく比べて、最終的にICUを選びました。
苦しかった時期のことを考えると、行きたい大学に2つも合格して、どちらを選ぼうかという「幸せな悩み」を抱えるなんて、思ってもいませんでした。
これからは、希望していた国際関係のことを学んでいきたいと思います。
同じような悩みを抱える方へのメッセージ
うつ病で苦しかった時期は、ずっとトンネルの中にいる気分で、出口がないというか、ずっとこのままなのかな、このまま死んでいくのかなという気分でした。
苦しい病気を治すために薬を飲んでいるのに、副作用でもっと苦しくなった、ということもよくありました。
「明日のこと」までは考えられても、「将来のこと」を全く考えられない時期もありました。
でも、出口はちゃんとありました。
僕の場合はうつ病だったので、まずは病院を頼りました。
回復期に入ってからはキズキ共育塾を頼ることで、受験を成功させることができました。
「病気」に限らず、苦しみを抱えているなら、一人で抱え込まずに人を頼りましょう、というのが僕からのメッセージです。
あなたも、今は苦しいかもしれませんが、人を頼りながら歩くことで、きっと出口にたどり着けるはずです。
病気の場合は病院を頼ることが第一ですが、勉強や進路についてお悩みでしたら、ぜひキズキ共育塾に相談してみてください。
同じようなお子さんを持つ親御さんへのメッセージ
僕は、親が望んだ進路には行きませんでした。
そのことについて親がどう思っているのかは、今でもわかりません。
ICUの学費は自分で払うつもりでアルバイトを探そうとしていたのですが、結局親が出してくれることになり、相変わらずの「暗黙の了解」なのかなあと思っています。
もしかしたら、あなたのお子さんも、あなたの希望どおりの進路には行かないかもしれません。
親としては、「よい」と思って勧めている進路を選ばない子どものことは心配になりますよね。
でも、お子さんは、きっと自分の道を見つけます。
もしかしたら迷いながら、遠回りしながらになるかもしれませんが、あたたかく見守っていただければと思います。
そして、特にうつ病などの「お悩み」を抱えている場合は、お子さん自身が一番「なんとかしたい」と思っているはずです。
親御さんには、そういう思いにも寄り添っていてくれたらなと思います。
とは言え、子どもだけ、親だけ、親子だけで悩みを抱え込むと、悪い方向にばかり考えが進むことがよくあるというのは、私の実感です。
頼りになる人は、必ずいます(病気の場合はまずは病院でしょう)。
そういう人を適切に頼ることで、お子さんも、親御さんも、「次の一歩」に進めると思います。
キズキ共育塾も「頼れるところ」の一つですので、お子さんの進路や勉強について、気になるようならぜひ相談してみてください。
※文中の写真は、全てイメージです。