高校で担任から「お前は大学に行けない」と否定され続けた西山詩帆さん。高校3年生のときには、担任との関係や体調不良などが重なり、大学受験をあきらめました。

そして、交通事故や睡眠障害などもあった2年間の浪人を経て、北海道医療大学薬学部に合格しました。

キズキ共育塾では、外出が難しい時期に利用できたオンライン授業、中学範囲からのやり直し、孤独な時期の世間話などが役に立ったと語ります。

担任に否定され続けた高校時代

中学3年のとき、幼い頃から面倒を見てくれていた祖母が亡くなりました。当時の私は、祖母がいなくなった事実を受け入れることができませんでした。

そのショックで、私は高校受験に失敗しました。私自身の第一志望ではなく、家族が希望していた第二志望の学校に進学することになったのです。

進学先は母の出身校で、偶然にも母の元担任が私の担任になりました。ですが、その先生はかなり癖のある方で、面談のたびに「お前は大学に行けない」「なんでお前は勉強ができないんだ」とずっと言われ続けました。

その言葉に心がすり減り、成績もどんどん落ちていきました。

それでも、高校3年の時点で、模試では志望校のA判定を得ていました。しかし、体調不良が出てきて、心も完全に折れていました。

高校で在籍していた理系クラスでは、定期テストの最後に国立大学の二次試験レベルの問題が出題されていました。平均点は30〜50点ほどで、最高点が50点に届かないこともありました。赤点の基準は25点で、クラス全体が苦戦していました。

そうした状況の中、高校3年生の最後の定期テストで、私は担任が担当する教科で赤点を取りました。そのテストも平均点が30点というとても難しい内容でしたが、赤点になったのは私だけでした。

赤点を取った後も、ほかの先生方からは「大学受験はできるよ」と声をかけてもらっていました。

ただ、私の心は壊れる寸前で、「もうここからいなくなりたい」とばかり考えていました。そんな状況でしたので、その年の受験はあきらめることになりました。

1浪目の9月に遭遇した交通事故

高校は3年間で卒業できました。ただ、高校時代から心身の不調が続いていました。担任との関係で精神的に追い詰められていたことに加え、全身の関節痛や過眠にも悩まされていたのです。

特に睡眠に関しては、夜に7時間しっかり寝ても、授業中や少し座っただけでも寝てしまうほどでした。寝ても寝ても眠くなり、自分の意思で抗うことができなかったので、いくつもの病院を受診しましたが、治療には至りませんでした。

高校時代からあった片頭痛も、卒業後に悪化しました。強い吐き気と頭痛で動けなくなり、車椅子で移動しなければならないこともありました。

こうした心身の不調があったため、卒業後はしばらく療養し、1浪目の9月頃から本格的に受験準備を始めようと考えていました。

しかし、その9月に交通事故に遭い、再び受験をあきらめざるを得なくなりました。

交通事故に加えて、以前からの体調不良も一向によくなりませんでした。そこで改めて病院を受診したところ、起立性調節障害とうつ病と診断されました。

この段階で、治療をようやく開始することになりました。血圧を上げる薬の服薬やカウンセリングで進めていきました。

初めて話をちゃんと聞いてもらえた塾

治療のおかげで、体調は徐々に回復していきました。1浪の3月の初め頃に「来年こそ大学受験にチャレンジしたい」と強く思うようになりました。

ただ、浪人生が通える塾は函館にはあまりなく、探すとなると札幌に出るしかありません。札幌に引っ越して寮に入るか、オンライン塾にするかの2択でした。

高校時代に「勉強ができない」と言われ続けて心がすり減っていたので、勉強に対する不安が強くありました。「これ以上、勉強ができないなんて言われたくない。そう言われない塾はないか」と思っていました。

また、私が現役時代だったときからはカリキュラムの変更もあったという意味では、最初から学び直せる環境が必要でした。

さらに、当時はベッドから一歩も動けない日とすごくテンションの高い日があり、心身の状態も不安定でした。

そんな中で塾を探すうちに、不登校やうつ病などの悩みがある人の学びをサポートするキズキ共育塾のウェブサイトを見つけました。そこには、「高校1年生の内容から学び直せる」「オンラインで学べる」と書かれていました。

「ここなら自分の状況を理解してもらえて、勉強ができないことを一方的に責められることもないのではないか」と強く惹かれて、面談を申し込みました。

面談もオンラインで受けました。担当の方と話したとき、中高を通じて散々な先生にしか当たってこなかった私にとって、初めてちゃんと自分の話を聞いてもらえたと感じました。

「ここなら大丈夫かもしれない」と思えて、入塾を決めたのです。

昔から我が家では、私が自分で調べて親にプレゼンをすれば「いいよ」と言ってもらえる環境でした。今回も自分で資料を調べて説明し、なぜ行きたいのかを伝えたところ、反対されることもありませんでした。

中学範囲からのさかのぼり指導

入塾当初は、心身の状態のために、家から出ることすら難しかったと思います。だからこそ、無理に外出する必要がないオンライン授業という形式には本当に助かりました。

授業では、特に数学の先生には大変お世話になりました。

数学に苦手意識があり、「どこが分からないかも分からない」状態だったので、自分から質問することができませんでした。「分からないところがあったら聞いてね」と言われるのすら嫌でした。

しかしその先生は、授業中に私が答えに詰まると、中学の範囲まで遡って「どこで詰まっているのか」を一緒になって探してくれたのです。

その指導を通じて、わからない問題に出会ったときは、どこでつまずいているのかをさかのぼって探す習慣が身につきました。

また、理解するまでに時間がかかる科目だからこそ、「1問の理解に時間をかけるのではなく、問題を解いていくうちに理解する」「公式を暗記するのではなく、自分で組み立てられるようにする」という考え方を学ぶことができました。その学習法は今でも役立っています。

苦痛を超えて腹を括った秋の決意

受験勉強の再開は不安でいっぱいでした。高校時代の勉強も生物以外はギリギリで合格してきた状態で、約4年間もまともに勉強をしていない状況でした。

高校受験時代には1日10時間勉強できていましたし、第二志望だったとはいえ進学校に合格はできていました。そのため、「できなくはないはず」と思いつつも、4年のブランクが重くのしかかっていました。

授業は週に1〜2回で、それ以外の時間は自分で学習を進める必要がありました。しかし9月頃までは机に向かうこと自体が本当に苦しく、思うように勉強が進みませんでした。

高校時代の刷り込みから「9月でこれしかできていないのはやばい」という焦りばかりがありました。

9月以降は「やるしかない」と腹をくくり、スマホに鍵をかけて触れないようにして、YouTubeのポモドーロタイマー(25分勉強・5分休憩)を流して集中力を切り替える工夫をしながら取り組むようにしました。

また、勉強再開時には過眠症と昼夜逆転にも悩まされていました。毎日12時間以上寝ていたんです。過眠症そのものは病気ですので、気合いでどうにかできるものではありません。病院で治療を受けて、薬も飲んでいました。

一方で、「私の場合は、過眠症とは別に昼夜逆転を改善できるのではないか」と考えました。そこで、昼間は散歩に出かけるなどして起きて過ごし、夜は決まった時間に処方薬を服用して眠るようにしました。だいぶ苦しかったのですが、昼夜逆転は1か月で解消しました。

浪人生の孤独を溶かした講師との雑談

勉強以外でも、人と話す機会のない浪人生活において、授業前後でのキズキの先生との雑談にはとても助けられました。

話した内容は他愛もないもの――例えば、北海道ならではの「今日の気温は一桁だった」「5月にやっと桜が咲いた」といった何気ないこと――でしたが、会話があること自体が嬉しかったのです。

また、月に2回受けていたメンターサポートでも、日常の困りごとなどを聞いてもらっていました。

入塾前は1年間ほぼ家族とバイト先の人としか話しておらず、孤独に近い状態でした。そのため、世間話ができる場所は貴重でした。

授業やメンターサポートは、うつ状態で感情の起伏がなかった当時の生活の中で「ちょっとした楽しみ」になっていました。

キズキで人と話し、勉強をするようになって、自分自身が大きく変わりました。浪人中に成人式にも一応出席したのですが、キラキラしている同級生を見ても、いい意味で何も思わなかったのです。

キズキには自分と同じような状況の生徒がたくさんいて、講師の先生も大学を辞めた経験などをオープンに話してくれたので親しみやすく、「自分は自分だ」と思えるようになったのです。

ほかに、キズキならではのサポートだなと思ったのは、共通テストの「受験上の配慮」の申請を一緒に進めてくれたことです。

高校に入ってから聴覚過敏に悩まされており、当時は人が何かを書く音に耐えられませんでした。通常の試験会場で受けられる状態ではなかったため、配慮申請のやり方を一緒に調べてもらえたことは本当にありがたかったです。

研究の道を目指して掴んだ薬学部

高校の頃から「研究がしたいから生物系の大学に進学する」と決めていました。

もともとは、「4年制の薬学部(※)や北里大学の理学部に行って研究をしたい」という思いもありました(※北海道医療大学の薬学部は6年制です)。

ただ、持病の片頭痛に加え、交通事故による身体の痛みやうつ病もあり、北海道を離れると通院を続けるのが難しい状況でした。

そのため、「何かあったときに母が来ることができる場所」という条件で、道内の大学に絞り込みました。

道内の大学の中で北海道医療大学を選んだのは、以前に学校見学に行ったことがあり、キャンパスの雰囲気がわかっていたからです。

合格したときは、一安心しました。

薬学部、歯学部、生物学部の3つに合格しました。その中から薬学部を選んだのは、自分が学びたいことを一番学べそうだと思ったためです。

現在の大学生活は、学業が忙しくはあるのですが、中学や高校時代よりも断然楽しく充実しています。

今後は語学留学も検討しています。「やりたいことは全部やってみよう」という前向きな気持ちになれています。

納得できるときが来るまで、今をしっかり生きる

つらい時期は、まさにその最中にいるときには、体感として10年くらい長く感じられます。でも、過ぎ去ってしまえばあっという間です。人と比べず、「自分は自分」と言い聞かせて歩んでいってほしいです。

ただ、そんなことを言われても、すぐには無理かもしれません。

人は、自分が経験していないことは、なかなか理解できないからです。

私自身、2年遅れて大学に入っているので、「絶対に友達なんてできない」と思い込んでいました。

周りから「大学にはいろんな年齢の人がいるから大丈夫」と言われても、「大学で友達がたくさんできた」という経験を実際にするまでは納得できませんでした。

しかし、実際に入学してみると年齢を隠す必要もなく、年下だけど先輩といった人間関係も含めて、自然と受け入れてくれる友達がたくさんできました。

私が思い出すのは、高校時代に一番信頼していた先生の言葉です。

「今何を言われても、自分が経験して噛み砕けるタイミングが来るまでは理解できない」と言われたことがあったのです。まさにその通りでした。

だからこそ、かつての私と同じように悩んでいる人には「そのときが来るまで、今をしっかり生きるしかない」と伝えたいです。

保護者の方へ:母の「任せる」で変わった自分

最初にお伝えしたとおり、私の高校受験の結果には、祖母が亡くなったことによる影響がありました。そして、影響があったのは私だけではありませんでした。母もまた、祖母(母にとっての母)の死をきっかけにうつ病になったのです。そういう状況で、私と母は激しい喧嘩を繰り返した時期もありました。

しかし最終的には、母が「あなたの人生だから任せる」と言ってくれてから、私は本気で自分の人生に向き合えるようになりました。

私は現在一人暮らしをしています。母は、「心配だから」と毎日連絡してくるわけではありません。ただ、困ったときにすぐ助けてくれる存在です。親子20年の中でここ1年でようやくその関係になれました。

お子さんが苦しい状況にあるとき、保護者の方もどうしたらいいのかわからないかもしれません。保護者の方には、子どもにとって「安心できる存在」になってもらえたら、子どもも変わっていくのではないかと思います。