人を支援するとは?
僕が「人を支援すること」について考えるようになったのは、イスラエル・パレスチナの若者たちを招いた会議がきっかけだった。
その会議は成田空港でイスラエル人とパレスチナ人が泣きながら別れを惜しむほど、成果は出たのだけれども、会議最後の一週間、東京滞在は大変だった。
大変だった、というのは「イスラエル人とパレスチナ人がケンカしたから」ではない。
彼らが六本木で毎晩遊びまわっていたからだ。
「団体を支援してくださった方々のことを考えてほしい」と僕は彼らに伝えたが、「東京に来たのに何故遊ぶ時間をくれないんだ」と彼らは逆に怒っていた(一応補足しておくと、今でも彼らとの交流は続いていて、当時のことは笑い話になっている)。
僕は、バングラデシュのローカルNGOでインターンとして働いた経験がある。
その中で、娼婦街で活動するそのNGOは、彼女ら自身への支援を放棄したことがあった。
貧困から村から売られてきた女性であっても、若くて綺麗な間は農村では手にすることのできない「お金」と「自由」を手に入れることができた。
だからNGOが彼女たちに工場などでの仕事(劣悪な労働環境で、低賃金)を斡旋しても、仕事が続かなかったのだ。
そこで、僕が働いていたNGOは娼婦たちの支援をあきらめ、その子どもたちの支援にフォーカスすることにした。
一年ぐらい前、児童養護施設で学習支援のボランティアをしている方がボソッと、「みんな、勉強したくてしょうがないのかと思っていた」と僕に話してくれたことがあった。
「実際にボランティアで行ってみたものの、そもそも勉強に興味がない子たちがほとんどだった」と。
学習習慣がない子が多い以上、勉強に対するモチベーションが低いのはしょうがない。
だから「モチベーションをどう高めるか」が、困難な状況にある子たちの学習支援では重要な課題となる。
でも、そこまで想像力を働かせるのはなかなか難しい。
「ドン底の状態にある誰かを助けたい」と願うとき、僕らはその対象者に一定の振る舞いを要求しがちだ。
そしてその期待が裏切られたとき、「怠け者」「支援なんて必要としていない」などのレッテルを貼ってしまうこともある。
そこには、「彼らも僕らと同じ人間だ」という当たり前の視線が、抜け落ちてしまっている。
例えば、僕だって海外に呼ばれたら、たまには夜遊びはしたい。
給料がよければ、誇りが持てない仕事であっても、辞められないかもしれない。
「毎朝カフェで勉強しよう」とよく計画を立てるが、実行できたことはほとんどない。
支援の対象者だって、それは同じだ。
むしろ一度困難な状況に陥ってしまうと、「やる気」そのものを削がれてしまうから、なおさら難しくなる(これは過去の僕も同じだった)。
どんな困難な状況にあっても徹底的に努力できる人なんて世の中にほとんどおらず(少なくとも僕はできない)、だからこそ、人の助けが必要なときがあり、行政の助けが必要なときがある。
それらの経験から僕は、支援の対象者だけに清く正しい行動を求めるべきではない、と思うようになった。
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