元ひきこもり芸人 髭男爵 山田ルイ53世氏インタビュー 第2回(1/2)

実は元ひきこもりである髭男爵 山田ルイ53世氏に、キズキ共育塾がインタビューを行いました。キズキ共育塾は、不登校・ひきこもり・中退などの挫折を経験した方々のための学習塾です。全4回でお届けします。(山田氏のご経験については、ご著書「ヒキコモリ漂流記」に詳しく書かれています。)
第2回目となる今回は、「モノサシは『勉強』」です。

インタビュアー:株式会社キズキ代表取締役社長 安田祐輔(写真左。写真右は同常務取締役 仁枝幹太)

モノサシは「勉強」

成人式のニュースが起爆剤になり、受験を目指す

安田:ご著書には、ひきこもりの生活をされる中、テレビで成人式のニュースを見たことをきっかけに、大学受験を目指したとありました。キズキ共育塾の生徒も、20歳前後での入塾が一番多いんです。山田さんの場合、成人式のニュースを見た瞬間に受験を考えたんでしょうか。それとも、それをきっかけに、徐々に気持ちが高まっていったんでしょうか。

山田氏:ずーっと、「えらいことになった」と考えてはいたんです。「人生がすごく余ってしまった」という投げやりな気持ちもあるし、「どうすんの」と。死ぬのも恐ろしいし。「でも何にもないなー」という状況で、たまたま見た成人式のニュースはガツンときましたね。

ですので、ニュースを見た瞬間に、起爆剤として「なんかせなあかん」とスイッチが入って、受験を考えたという気がします。

モノサシが「勉強で褒められる」という1つしかなかった

安田:私立中学を中退した後も、「『勉強もスポーツも得意だった』という神童感・プライドを持ち続けていた」といったことを書かれていましたね。

僕も、私立中学を中退して、高校にもあんまり行かなかった時期に、「小さい頃は勉強ができたはずなのに」というコンプレックスを抱えていたんです。そのときは、もう誰も自分のことを「頭がいい人」と見てくれていない。だから、山田さんの気持ちがすごく理解できました。

山田氏:ハッハッハッハ、さぞやお辛かったでしょう!「あの頃の僕はもう戻ってこない」ですよね!

安田:山田さんは、ひきこもりを経て愛媛大学に進学されています。「愛媛県では愛媛大学生は天才扱いされる」とのことでしたが、その状況で勉強・学力に関するコンプレックスは解消されましたでしょうか。結果から見ると大学は中退されていますね。

山田氏:ですから、結局は解消してなかったんでしょうね。この背景には、親父の教育方針…というか思想があると思います。

親のことを子どもが分析するのも申し訳ないんですが、親父には劣等感もあったんだと思います。親父は高卒の公務員だったんですが、出世でうまくいかなかったんですよね。家でメシ食ってるときに、「オレの上司は大卒だけど、あいつは仕事が全然でけへんねん」みたいな愚痴も言ってたんです。

そういうことも踏まえて、親父はよく「下を見るな。上を見ろ。下と比べて満足するな」と言っていたんです。それ自体はまっとうな意見かもしれませんが、結果として、当時の僕のモノサシは「学校の勉強ができる、褒められる」の1つだけになってしまったんです。そこの角度しかなかったから、それにとらわれていたというか。

それがなければ、そういう(勉強・学力に関する)序列のようなものにとらわれずに済んだかな、中学でドロップアウトしたことによる劣等感をそこまで引きずることもなかったかなと思います。中退しましたが、愛媛大学は本当にいい学校ですよ。

安田:話が前後しますが、そういう「モノサシ」もあったために、社会復帰を目指す際に、働くのではなく大学受験を目指されたということでしょうか。

山田氏:そうですね。働くよりもまだ大学受験の方がええかなと。

ただ、親はずっと「働け」と言っていました。中学に1年多く在籍して、卒業はできたんですけど、その時点で「家から出て働け」と。「働かざるもの食うべからず」という言葉を本当に聞いたのは、僕の人生で親からだけです(笑)。

親も、僕に家にずっといられると鬱陶しいという気持ちがあったんでしょう。でも当時の僕には、もう1回勉強したい、学業の方で評価されたいという気持ちがずっとうっすらあったので、働かずにいました。

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