社会人からの大学受験~フリーター、鉄工所勤務を経て国際基督教大学へ~(臼井講師)
目次
鉄工所で働いた3年間を経て、大学に行きたいという気持ちが芽生えた
始まりは高校だった。
県下の進学校に進んだ私は、厳しい校風と人間関係のトラブルから、勉強に関する意欲を完全に失い、大学受験をせずに高校卒業後の日々を無為に過ごしていた。
これではいけないと思い、20歳のときに大学受験のために勉強を始めるも、一人では気力が続かず、飲酒に逃げることも多かった。
そして2004年2月、東京の某大学の前で、私は、奈良漬けもかくやというアルコール臭とともに立ち尽くしていた。
その日入試が行われるこの大学の近辺は校門に向かう受験生であふれており、試験前特有のピンとした空気が流れていた。
彼らに交じって歩く私も受験生だったが、身体から容赦ない酒の臭いを発していた。
この大学受験の前日にも浴びるように酒を飲んでおり、ボロボロの状態だったのである。
校門前のコンビニで空になった酒瓶を捨てながら、私は心底つぶやいた。
「帰りたい…」
それでも何とか帰らず試験は受けたが、当然、不合格だった。
――何のために勉強するのか?何のために大学に行くのか?
当時の私にはそれが全く見えなかった。
ただ、その疑問と、大学に対する強い憧れだけは、私の心にしこりとなって残った。
その後、私はコンビニでのバイト生活を経て、親戚の経営する鉄工所で働き始めた。
しかしその後も長い間、大学生活や大学自体に対する憧れは消えず、私は放送大学という通信大学に通い、細々とながら勉強を続けていた。
そのまま、3年が過ぎた。
今から思い返してみると、勉強に向かう何か大きなきっかけがあったわけではない。
工場で働きながら、通信教育で大学へ通う。そういう日々を重ねるうちに、自分の中に、学問に対する興味が徐々に生まれてきていた。
何のために勉強するのか?何のために大学に行くのか?
明確ではないが、ぼんやりとした自分なりの答えが生まれてきていた。
その感情は、3年のうちにゆっくりと形になり、私の中で1つの意志を形成していった。
「大学に行きたい、行って勉強したい」
答えが形になったのは、ちょうど鉄工所に勤め始めて3年目の4月、このとき私は24歳だった。
浪人生時代。高校を中退した人、不登校・ひきこもり対象の予備校へ
さて、大学生になると決めたはいいが、どのようにして勉強するか?ということは大きな問題だった。
私はもともと本を読むのが好きで、参考書などを読みながら1人で勉強するのは得意だった。
しかし、当時はまだ仕事を続けており、勉強時間を十分に取れない。
しかも、受験の情報をどこから入れればいいのかわからない。
まったく何をすればいいのかわからない、といった状況だった。
多くの方は、予備校を利用すればいいじゃないか…と思われるだろう。
しかし、ここで1つ大きな問題があった。
――私は、大手予備校が、怖かったのだ。
怖い、といっても別に予備校が悪いわけではない。
学習環境は整っているし、優秀な講師も多数いる。
それに、いつも一人で行動していると言う意味の 「ぼっち」という言葉ができる前からぼっちであった筋金入りのぼっちのわたしは、一人でいることにも慣れていた。
しかし、怖い。
それは大手予備校独特の空気だ。
上手く言えないが、「受験するぞー!」という、よくわからない、気合いに満ちた、ギラギラとしたエネルギー。
それが、怖い。
一度受験から離れた身としては、そんなエネルギーに満ちた場所にいるだけで気力体力を吸い取られ、ぐったりとしてしまう。
何度か予備校を会場とした模試を受けたこともあったが、正直、そのたびに体中から気力がなえていくような気持ちになっていた。
そんなわけで私は、もっと小さな、そして少し変わった予備校に通うことにした。
関西にある、高校を中退した人や不登校・ひきこもりなどを経験した生徒を対象とした予備校だ。
そこの予備校は様々なバックグラウンドを持った学生が多く、一般的な受験のレールから外れた私でも通いやすい空気があった。
また、1コマからの個別指導もしていたので、金銭的にも時間的にも充分通うことが可能だった。先生の顔が見えて、直接話せるというのもいい。
確かに、純粋な受験技術やノウハウという点では大手予備校の方が有利かもしれない。
しかし、受験に必要なものはそれだけではない。
個人の状況に合わせたサポート、そして私の抱えている不安を理解してくれる環境。
この2つが、自分には必要だったのだ。
こうして、私の浪人生活が始まった。
周囲の助けが糧となって、きびしい受験期を乗り切ることができた
浪人生時代に気を付けたことは3つある。
- ひとつは、規則正しい生活を送ること。
- ひとつは、ネガティブにならないこと。
- ひとつは、無理をしすぎないこと。
規則正しい生活を送るというのは、夜、決まった時間になったら眠り、朝になったら起きて、毎日決まった時間勉強するということだ。
もちろんできない日もあるが、とにかく、昼夜逆転したりご飯を食べなかったりということがないようにした。
当然のことのように思えるが、これが受援においては非常に重要なのだ。
何しろ、夜中に試験のある大学などないのだから。
ネガティブにならないというのは、これは最も重要で、最も苦労した点だった。
特に、受験に失敗したり、漠然と恐怖感を抱いている人ならわかると思うが、本当によくないイメージばかりが浮かぶ……
自分が大学に合格するビジョンが浮かばないのだ。
それを克服するために、私は本当にいろいろなことをした。
自己暗示のためのテープを自作し毎晩寝る前に聞いていたし、自己催眠のかけ方(!)の本まで読んで、受験の為のメンタルトレーニングをした。
無理をしすぎない、というのも大事だ。
人間の集中力は長くは続かない。
1日10時間集中して勉強できるなら、それは素晴らしいことだが、勉強習慣がついていない人間がいきなりそうしようとしても、なかなかできない。
それよりも、無理のない計画を立て、その範囲の中できっちりこなしていく、というのが重要になってくる。
受験期はとにかく気持ちがあせりがちなものだが、あせるよりも、目の前のことをきちんと積み重ねていった方が結果が出るものだ。
しかし、以上の3つの点は自分の力だけでこなすのは難しい。
受験というのは孤独な作業で、ともすれば1人の世界にこもりがちになる。
- どういう風にリズムを整えればいいか?
- どうすれば明るい気持ちになれるのか?
- どうしたら無理しすぎずにちゃんと目標を達成できるのか?
ということは、自分一人では迷ってしまう。
そんな時に、私の場合はやはり、予備校などで進路の相談に乗ってもらえるのは役に立った。
成績が思ったように伸びなくて不安になったときも、進路に迷ったときも、相談できる相手がいるということはそれだけで大きな糧になった。
本格的な受験生活はおおよそ半年間だったが、一人ではとても続けることはできなかっただろう。
再度で最後の大学受験
2009年、2月、東京。大学の前に私はいた。
その日の私は、5年前のように奈良漬けでもなければ、自信を失ってもいなかった。
帰りたいという気持ちもなかった。
実力はまだ足りているとは到底思えなかったが、それでも、何とかしてチャンスをつかむぞと言う気概にあふれていた。
結果だけをいうなら、私は国際基督教大学(ICU)に合格した。
正直、奇跡に近いと今でも思う。
ICUの受験方法は一般的な受験と異なっていて、知識量を問われない代わりに、論理力や、読解力を問われる特殊なテストである。
知識を問われない分、受験期間の少ない私には適した試験形式だったと言えるだろう。
しかし、それでも、当時の私の能力がICUの合格水準に達していたとはどうしても思えない。
最後まで、あきらめずにがんばったことが、この結果を引き寄せたのだろうと思う。
私はいま、ICUで学生生活を送っているが、非常に楽しい時間を過ごしている。
この先に不安がないとは言い切れないが、あのとき大学を受験しようと思ったことは後悔していない。
大学には、大学にしか存在しない時間、そして大学生としてしかできない経験を得られる環境がある。
もしあのとき受験を決意していなければ、私はこういったことを知ることもなかっただろうと思うのだ。
だから、もしこの記事を読んでいて、受験しようかどうか迷っている人がいるならば、ぜひがんばってほしいと思うし、心から応援させていただきたい。
※文中の写真は、全てイメージです。
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