受験勉強が激しい高校に登校できなくなり、うつ病と診断され、中退。半年ものあいだ、勉強から完全に離れていました。
「このまま自分の将来は閉ざされるのではないか」そう思い込んでいた僕が、1浪の年に第一志望の慶應SFCに合格できたのは、「第二の実家」と呼べる安心できる場所、キズキ共育塾を見つけたからです。
キズキ共育塾は、無理をせず、マイペースでも続けられる完全個別指導。僕はここで、「勉強が怖くなくなる体験」と「支えてくれる人との出会い」によって、自信を取り戻し、合格まで歩みを進めることができました。
第一志望の公立高校に不合格。入学した高校は1年生から受験勉強が激しく、2年生の5月にストレスのために登校できなくなる
中学校までは、地元の公立に通っていました。高校は、第一志望の公立高校に落ちて、私立のいわゆる「自称進学校」に入学しました。高校受験については、「失敗した」と思っていましたね。
入学した高校は、受験勉強が激しい環境でした。
数学を1年生のときにIIBまで終わらせる、
授業外に補習がある、
小テストで合格点を取れなかったら先生に問い詰められる、などなど。
成績は、最初のうちはよかったのですが、伸び悩むようになりました。
そんな環境で過ごしていた高2の5月連休明け、ストレスのため、僕は学校に行けなくなりました。
ただ、「すぐに、完全に行けなくなった」わけではなく、「保健室登校やカウンセリングも利用しながら、登校する日がだんだん減っていった」という感じです。
親には、僕が無理していたのは伝わっていました。
「学校に行け」という感じではなく、「とうとう動けなくなったか」と心配していました(親が直接そう言ったわけではありませんが、感じ取っていました)。
うつ病の診断。2年生の終わりに中退。当時のLINEは3年経った今でも未読
夏には、病院にも行きました。
進路についての不安があり、アイデンティティの喪失に近い状態で、医者には軽いうつ病と診断されました。
「時間が経てばまた勉強を再開できるのでは」
「自分には他の合っている道があるのでは」
そんなことを考えつつ、何もしない日々が過ぎていました。
高2の8月や9月は、勉強を一切せずにゲームばかりする生活になっていて、高校にも全く行けないようになっていました。
結局、親からの提案があって、2年生の終わりに中退しました。在籍を続けていても、3年生に進級できていなかったと思います。
高校では、先生たちが「絶対神かつ悪」みたいな感じで(笑)、生徒同士の団結心は強かったですね。
なので、完全に登校しなくなってからも、クラスメイトから心配のLINEをもらうことがありました。ただ、誰とも話したくなくて、返信する余裕もありませんでした。
みんなには申し訳ないのですが、そうしたLINEは、約3年経った今でも未読です。高校を中退したことも、きちんと伝えてはいません。
自分に自信をつけたい、成功体験をしたい、社会的な価値のあるものがほしい
話が前後しますが、高2の10月くらいには、「ゲームばかりの時期」は終わっていました。高校への登校はできないままでしたが、「勉強を再開しよう」と思えるようになっていました。
元々、大学進学はしたかったんです。
自己肯定感が高くなかったので、「自分に自信をつけたい、成功体験をしたい、社会的な価値のあるものがほしい」と思っていました。
そして、「(高校受験に失敗して、高2からは伸び悩んだとはいえ)勉強が得意だった自分」が手に入れられそうなもの…と考えると「高学歴」だったんです。
「学歴至上主義」という意味ではありません。むしろ逆で、自己肯定感の高くない自分にとって、「自分が手に入れられるものは、学歴くらいしかない」という感じです(あくまでも当時の思いです)。
現状を打破したい。マイペースな勉強で受験に挑みたい。キズキ共育塾なら、それが叶えられるかもしれない
僕の頭の中には、次のような思いが巡っていました。
とにかく現状を打破したい、少しでも勉強を再開して前に進みたい
大手予備校は、周りのレベルが高そうで、勉強から離れている今の自分には向いていない。人との接触も避けたい
高校のときのような「ハードな勉強」ではなく「マイペースな勉強」をしたい。でも、マイペース過ぎても受験には挑めないかも…。だとしたら、勉強のペースメーカーが必要ではないか…。
キズキ共育塾を見つけたきっかけは、「そんな自分に寄り添ってくれる塾を見つけたい」とインターネットで検索したことです。
キズキ共育塾は「不登校や中退の人のための1対1の完全個別指導」で、「ここなら…向いてるかも?」と思いました。
キズキでの面談。勉強面の不安が解消されるとともに、教室長の温かい対応が心に残る
ただ、それまでキズキ共育塾のことは知らなかったので、大学受験に向けてしっかり勉強できるところなんだろうか、という不安はありました。
そこで、家から通える距離の武蔵小杉校に行って、話を聞いてみることにしました。
面談には、まずは僕一人で行きました。親には、「興味があるからちょっと話を聞いてくるね」と伝えました。
面談では、「不登校・中退・や引きこもり、学習ブランクに理解のある、手厚い講師陣でサポートしていく」という説明があって、また僕と同じような状況から志望校に合格した人たちの話を聞いて、勉強面についての不安がまず解消されました。
ただ、それよりも、教室長の方の温かい対応が心に残りました。
面談中に、僕が腹痛を起こして離席することになったんです。教室長の方は、それを快諾し、共感し、寄り添ってくれました。
「僕には、キズキ共育塾が絶対に合う」と確信しました。その後、親も交えて面談を行い、実際に入会することになりました。
すでに高校に完全に行けなくなった、高校2年生の10月ごろのことです。
最初の授業は英語。「雑談多めの、とにかく褒めてくれる授業」で、勉強のハードルがすごく下がった
最初の授業は、英語でした。
現状の学力の把握だけでなく、最初は、趣味や今までの経歴の話など雑談をメインにしてくれたことで、勉強や授業に対してのハードルがすごく下がりました。
先生と野球観戦という趣味が一致したこと、ゆったりとしたペースで勉強できると知ったことで、キズキにもっと通いたいと次第に前向きな気持ちになっていきました。
これは、僕に合わなかった高校(ハードで、全員一律の勉強)の裏返しかもしれません。
通塾開始からしばらくの間も、授業では雑談を多めに入れてもらえました。
完全個別指導で、僕だけのためのカリキュラムだからこそ実現できた授業だと思います。
また、「できたこと」をとにかく褒めてもらえたことで、勉強へのハードルはどんどん下がっていきました。
余談ですが、僕は横浜ベイスターズのファンです。野球に興味を持ったのが小学校6年生だったので、「始めるにはちょっと遅いかな」と思い、自分自身ではプレイしていません(やりたかったのですが…)。
キズキの先生は人当たりがよくて、僕以上に僕のことを理解していた
キズキの先生は、とにかく人当たりがよかったです。授業のない日に自習に行ったときに必ず話しかけてくれることが、すごく嬉しかったです。
また、僕自身以上に僕のことを心配してくれて、キャパシティを理解してくれていました。そのため、勉強量、勉強の指針、志望校の相談では、すごく頼らせてもらいました。
志望校を慶應義塾大学環境情報学部(SFC)に定める
志望校と学部を慶應義塾大学環境情報学部(SFC)に決めたのは、先生と一緒に、現状の学力や体調、科目、興味のある分野などを総合的に判断した結果です。
脳科学に興味があったのですが、「脳科学部」という学部はなかったので、学部を調べるのはちょっと難しかったですね。
(また話が前後しますが、現役年齢のときには志望校を決めきれませんでした。明確に決めたのは、1浪の年齢のときです。)
1日1つの英単語の勉強なら、毎日できる。「勉強しない罪悪感」を作らないようにした
SFCは、英語と小論文の2科目で受験できます。もちろんそれぞれ難しいのですが、科目数としては絞ることができます。両科目とも、キズキで授業を受けました。
英語については、先生とも相談して、「毎日1つでもいいので」英単語を覚えるようにしました。
これは、「英単語を覚える」という直接的な目的以外にも、「勉強しない日」を生じさせない目的もありました。
志望校をSFCに決めるまでは、勉強をしない(できない)日もありました。そんな日は、罪悪感が生じるんです。
英単語であれば、1日1つだけでも、3秒でも取り組めて、勉強しない日(=罪悪感)が生じません。英文法や長文は、「毎日勉強する」という意味では、ちょっと重いんですよね。
もちろん単語力もついて、SFCを現実的に目指せるようになりました。
小論文も対策。「折り紙で何かを作成して、その説明を書く」
小論文は、キズキに入るまでは、本格的に書いたことがありませんでした。高校のときに「ちょっとやったことがある」という程度で、そのときの点数は平均よりも低かったです。
SFCの小論文は少し特殊で、どんな出題がされるか全くわからないんです。
キズキでは、小論文を基礎から学んだ後に、本当にいろんな対策を行いました。例えば「折り紙で手裏剣を作成して、その説明を文章化してみる」などです。
こうした対策の結果、文章力がついて、どんなテーマがきても戦えるようになったと思います。
小論文の先生も野球が好きだったので、「ホームランを狙わなくていい、前に転がそう」とアドバイスをしてくれて、自分にしっくりきました。
受験生同士の座談会も。自分も、自分以外も頑張ってると知ってモチベーションアップ
ちょっと特別な授業として、「同じ先生が受け持っている受験生3人での座談会」というものもありました。
人との関わりを避けてキズキに入った僕ですが、気持ちが落ち着くにつれて、仲間みたいなものがほしくなってきました。そう先生に伝えたら、座談会を実施してくれたんです。
先生が中心になって、みんなで集まってどこを目指してて、何を勉強してて、こんな勉強法があるよみたいなことを、共有し合いました。
自分も、自分以外も頑張っている。それを実感して、受験へのモチベーションを高めることができました。
高卒認定は、地理だけでOK。過去問を見たら簡単だったので、独学で挑んで合格
大学受験に挑む場合、「高校の卒業」か「高卒認定の取得」が必要です。
高卒認定のことは、カウンセリングで聞いたり、学校の先生から勧められたりして知っていました。
僕の場合は、改めて高校に編入して卒業を目指すよりも、高卒認定を取得する方が早いなと思いました。
高認では、高校で必要な単位を取得している科目は受験を免除されます。僕は高1のときにはしっかり単位を取得していたので、受験する必要があったのは地理だけでした。
その勉強は、独学で行いました。過去問を見て、「これなら大丈夫だろう」と思ったんです。キズキの先生にも「大丈夫?」と心配されましたが、18歳のときに1回で合格できました。
受験直前の不安。スタッフの方の「大丈夫」には根拠があるから勇気が出た
キズキに行ったときには、先生だけではなく、スタッフの方々とも、たくさんお話ししました。
スタッフの方々は、教室に着いたときと教室から帰るときに、必ずちょっとした世間話を挟んでくれました。スタッフの方々との会話が楽しみで自習に行っていた時期も長かったです。
受験直前には、「できる」「大丈夫」と、勇気が出る言葉をかけ続けてくれました。
スタッフの方々は、僕が毎日自習に来ているのを知っているし、頑張っているのを知っています。だからこそ、「『できる』『大丈夫』には根拠がある。信じることができる」と思っていました。
1浪の年齢で第一志望に合格。僕は放心状態になり、父は泣いて喜んでいた。嬉しすぎてその日の夜は眠れなかった
結局僕は、1浪の年齢で、第一志望の大学に合格しました。自分の学力がここまで伸びるとは思っていませんでした。
現役年齢の年にはどこにも合格していなかったこともあって、合格を知ったときは放心状態でした。しかし泣いて喜ぶ父や、喜んでくれるスタッフや先生方の姿を見て、現実感が湧いてきました。
「今までの道のりはつらかったけど、無駄なものじゃなかった」と気づいて、その日の夜は嬉しすぎて眠れませんでした。
正直言うと、「僕以上に喜ぶ父の姿」には、ちょっとびっくりしました(笑)。でも、ずっと僕のことを心配していて、やっと安心できたんだろうなと思います(もちろん「大学合格」は人生のゴールではないのですが)。
志望校合格の理由は「キズキの授業が楽しくて、勉強への嫌悪感を忘れられたから」
志望校に合格できた理由として大きいのは、キズキ共育塾に通ううちに、勉強への嫌悪感が薄れて、毎日通塾したり自習したりする習慣がついたことだと思います。
高校時代のトラウマが原因で、勉強への嫌悪感は非常に大きく、机に向かうことすら嫌だった時期があります。
加えて、キズキに入会したときには、半年間勉強していませんでした。英語と数学はちょっとやっていたから「学力の貯金」があったのですが、他の科目は全然ダメでした。
勉強への嫌悪感が薄れたのは、キズキの授業がとにかく楽しかったからです。
本当に、伸び伸びと勉強できました。
ただ、「いつも楽しく勉強できた」というわけでもありません。嫌悪感が強くなって全く勉強できない日もありました。
そんな日は、授業を雑談メインにしました。ちょっとでもできたらめちゃくちゃ褒めてくれるのもよかったです。
特に受験直前でよかったことは、家とキズキの両方で自習することで、気分転換ができたことです。
キズキ共育塾は、僕にとって第二の実家。安心できる温かい空間
キズキ共育塾は、僕にとって「第二の実家」とも言えるような、本当に安心できる温かい空間でした。
生徒同士の交流は基本的にはないのですが、スタッフや講師の方々と世間話を交わして、とても楽しかったです。
先生やスタッフさんと話したことは、勉強や進路のこと、野球のこと、高校の愚痴(笑)がメインでした。
これは、「僕が話したいこと」でした。自習中に他の授業の声が聞こえてきたりするのですが、人によっていろんなテーマについて話しているみたいで、みんな楽しそうでした。
キズキでの一連の経験が、大きな成功体験に。人生が変わった。自分でも成し遂げられることがある
キズキ共育塾に通う前は、「今の自分で行けるレベルの大学に入って、勉強への嫌悪感を持ち続けたまま大学生活を送ることになる」と思っていました。
しかしキズキ共育塾で勉強することで嫌悪感を和らげ、志望校に合格して、とても満足のいく大学生活を送ることができています。
キズキ共育塾での一連の経験は、大きな成功体験になりました。「自分にも成し遂げられることがある」という、大きな自信をつけることができました。
本当に「人生が変わった」と思います。
キズキに通う前の自分が今の自分を見たら、「誰?」と思うはず
キズキに通う前の僕が今の自分を見たら…第一に「誰?」と思うはずです。
そのくらい、勉強を続けて志望校に合格した経験は、僕の自信になっています。そして、その自信が言動に現れるようになったと思います(もちろん「傲慢になった」という意味ではありません)。
当時の自分は志望校合格はおろか、勉強を再開することすら夢のまた夢だと思っていました。本当に「同じ自分」なのか疑わずにはいられないと思います。
キズキに通って実感した4つのこと。「絶望的だと思い込んでいる状況でも…」
キズキ共育塾で過ごした日々は、とても有意義でした。僕は、次のようなことを実感しました。
「絶望的だと思い込んでいる状況でも、誰かと一緒であればどうにかなる」
「つらかった過去を時間が解決することはないけど、緩和はされる」
「人は、自分が想像できないほど変わることができる」
「努力は無駄にならない」
大学生活はめちゃくちゃ楽しい!①高校が合わなかった僕は、大学をとても楽しんでいます。慶早戦の雰囲気は他では味わえない!
高校が合わなくて不登校・中退した僕は、大学はとても楽しめています!
その理由を考えると…一つは、やはり第一志望で合格した大学ですので、愛校心が強いというのはあります(笑)。
SFCのキャンパスは、客観的に考えると、結構不便な場所なんですよ。でも、愛校心があるから、「自然豊かなところにある」と、いい方にとらえることができています。
慶早戦(世間的には「早慶戦」と言われる、早稲田大学と慶應義塾大学の野球の試合。慶應義塾大学では「慶早戦」と言います)も見に行きました。
もともと野球が好きだということもあって、めっちゃくちゃ面白かったですね。
試合は、早稲田にボコボコにされました。で、帰り際に、早稲田のTシャツを着た知らない人に煽られたりしました(笑)。あの雰囲気は、なかなか他では味わえないと思います。年に2回しかないのは寂しいです。
もう一つは、大学は、「僕にとって、ちょうどいい自由さと強制力」があるからかなと思います。大学では、仮に授業に出席しなくても、高校までのように「怒られる」ということはありません。だからこそ逆に、授業に出席する意欲が出るのかなと思います(もちろん、興味のある科目を履修しているから、というのもありますが)。
大学生活はめちゃくちゃ楽しい!②自信がついたので、新しいことに積極的に取り組めるようになった
志望校に合格できたという経験から、自分に自信を持つことができました。なので、それまで怖くて踏み出せなかった新しいことに積極的に取り組めるようになりました。
勉強については、脳科学、地方創生、法学、経済学などを学んでいます。
サークル活動としては、未経験からバドミントンを始めました。バドミントン、めっちゃ楽しいです。
アルバイトとしては、飲食店で働いています。
大学生活で諸々の活動に取り組む自分のことを、正直、「調子に乗ってるな」という自覚はあります(笑)。
でも、「調子に乗れるような機会」は、高校に行けなくなってから大学に合格するまでの期間、全くなかったんです。だから、「調子に乗れるときに乗っておこう」と思っています。
学部を卒業した後のことは、大学院に進むか、就職するか、検討中です。まだ1年生の今は、やりたいことをやろうかなと思っています。
大学生活はめちゃくちゃ楽しい!③大学にはいろんな経歴の人がいる
大学でできた友達には、自分の高校不登校や中退の経歴は、積極的には話していません。隠しているわけではないのですが、脈絡もなくいきなり伝えても、相手が困惑するかなと思って。
ただ、大学にはいろんな人がいますし、みんな他人への「理解」があります。3浪、4浪も珍しくありません。直接の知り合いではないですが、先輩には、80代後半でSFCに入学した方もいます。
勉強できるか不安なあなたへ〜キズキなら、マイペース&柔軟な授業で学べます〜
僕も勉強は「たった半年」のブランクがあっただけで、必死で覚えたことを全て忘れている状態でした。
また、高校も半年登校していなかったので他人と話すことや通い続けることに不安を感じていました。
しかしキズキ共育塾では、やる気がないときは雑談を多めにするなどマイペースな勉強ができますし、対面授業とオンライン授業の変更も柔軟です。
なので、勉強できるかどうか不安に思っている方も、安心してください。キズキ共育塾なら、自分のペースで学んで、目標に近づいていけるはずです。
不登校のお子さんがいる親御さんへ〜相談しやすい空気感が大切〜
親は、僕たち子どもにとって、最も頼りがいのある大人です。
お子さんのこと、心配で仕方ないとは思います。ですが、辛抱強く向き合って、お子さんが自分から話すタイミングを待ってくださるとよいのかなと思います。
僕は、学校に行けないことや進路についての不安などを、「誰かに相談したい。でも、相談しても、誰もわかってくれないかも」という相反する2つの感情を、1人で抱えていました。
ただ、そんな状況でも、親は勉強や進路のことに口出しすることなく、共通の趣味の話や遊びに行く話などをして、相談しやすい空気感を作ってくれていました。
結果として、僕は、キズキ共育塾に行きたいということを、親にすぐに伝えることができて、今に至っています。
勇気を持ってキズキに相談したからこそ、今の自分がある。あなたも、ぜひ相談してみてください
僕の体験談は、「合格したから言えること」である、つまり「生存者バイアスがかかった内容」なのかもしれません。
そんな僕が「生存者」になったきっかけは、勇気を持ってキズキ共育塾に相談できたことだと思います。お悩みを、一人で抱え込まないでください。
何かを再開したり、遅れたものを取り戻したり、自分を見つめ直したりすることはとても大変でつらいことだと思います。僕もそうでした。
現状を変えるためには、勇気を持って踏み出すことが大切です。そうすることで、あなたをサポートする人たち、あなたの悩みに寄り添う人たちが、きっと見つかります。僕の場合は、それがキズキ共育塾でした。
そして、一歩踏み出して、歩み始めたことは、決して無駄にはなりません。僕は1浪で第一志望校に合格しましたが、現役年齢のときには合格はありませんでした。
ただ、合格がなかったときにも、「一度やり直そうと立ち上がろうとした気持ち、合格に向かった過程は、人生の糧となる」と思うことができました。
ぜひ、その不安や希望を話せるところを見つけてください。それが勉強や受験に関係することなら、キズキ共育塾は、きっとあなたの力になるはずです。
※画像は全てイメージです。