講師紹介

「いい子」をやめて自分のワクワクと向き合う。世界が大きく広がった

清水優希

  • スタッフ
  • 横浜市立大学

清水優希(しみず・ゆうき。仮名)。
高校までは「親に認められたい」という思いから優等生だったが、大学受験に失敗。家庭の事情で経済的支援がなく、学費や予備校代を自分で工面する生活に疲れ、また「失敗してしまった自分」を恥ずかしく思い、絶望し、ひきこもりになる。
そんなときに、弟が努力を重ねる姿を見て、「私がやりたいことってなんだ?」と人生で初めて考え始め、「もっと自分のワクワクと向き合おう」と覚悟。アルバイトと受験勉強を掛け持ちし、2年越しに横浜市立大学に入学。

記事に掲載されている情報は、掲載日時点のものです。

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「いい子ちゃん」であり続けるために必死だった

「いい子ちゃん」であり続けるために必死だった

それは私が小学校2年生のときのこと、算数のテストで97点を取りました。

苦手な教科だったので、満点近い点数が取れたのが嬉しくてしょうがなくて、家に帰るとランドセルを背負ったまま、親に駆け寄ってテスト用紙を見せました。

そのときにかけられた言葉を、私はきっと一生忘れることはないと思います。

「なんであと3点取れなかったの?どうしていつもこうダメなの?」

…今の私なら、「私の親はちょっと不器用で、この言葉も不器用な親なりの本心からの励ましだな」と理解できます。

でも当時の私は、ただ「すごいじゃん!」ってほめてほしいだけだったんです。

「またほめてもらえなかった。なんでいつも私はこんなにダメなんだろう…?もっともっと『いい子』にならなくっちゃ…!」

親の言葉をそう解釈した私は、親に認めてもらいたい一心で、自分の欠点を見つめ、自分を責め続けました。

一生懸命勉強もがんばりました。

そして地元の進学高校に入学した私はいつのまにか、
「失敗しちゃだめだ」
「人生のレールを歩み続けなきゃ」
と思い込み、
「自分がどうしたいか?」ではなく、
「どうすれば誰もから認められる『いい子』でいられるのか?」
という価値基準で物事を判断するようになりました。

優秀な「いい子」でいることだけが「人から認めてもらえること」であり、私のアイデンティティだったんです。

そんな私はもちろん、「大学は行かなきゃいけないんだ。行かないと私の人生は終わりだ」と思って、大学進学を志望しました。

迎えた大学受験の結果は不合格、ひきこもりに

迎えた大学受験の結果は不合格、ひきこもりに

でも、思ったように物事は進みませんでした。

大学受験になかなか身が入らなかったんです。

成績も伸び悩み、同級生たちにどんどん差が付けられていきました。

加えて、私は家庭の事情で予備校に通えませんでした。

そこで私は「予備校に行けないから成績が伸び悩むのはしょうがない」と自分に言いわけをして、自分自身に向き合うことから逃げました。

ただただ、予備校に通えない自分の家庭を心の中で責め続けました。

そんな中迎えた受験本番。
結果はもちろん不合格でした。

一番恐れていたことが現実になったとき、私はどうすればよいかわかりませんでした。

ただただ周りの目が怖くて、友達に「進路どうするの?」と聞かれたら、「ダメだったから、浪人するよ~」とヘラヘラ笑って受け流していました。

そんな自分が恥ずかしくてしょうがありませんでした。

友達にありのままの自分の姿を見せることができず、素直に自分の気持ちを話すことができずに、高校を卒業しました。

こうして始まった浪人生活。

高校卒業で自由な時間が増えたので、模試代、教材費、日々の生活費などを自分で稼ぐようになりました。

なので、昼間は家で受験勉強、夜はアルバイトを週4日間するという掛け持ち生活が始まりました。

これが想像以上につらかった…。

「自宅浪人」は常に自分との戦いで、そもそも現役時代に受験勉強に身が入らなかった私にとって、自分自身でペースを管理して、コツコツ努力をするということが難しかったんです。

加えて、夜は毎晩22時過ぎまでアルバイトをしていたので、どうしても疲れがとれず、勉強のために朝早く起きることができなくなっていきました。

どんどん減っていく勉強時間、このままではまた不合格になってしまうという焦り。
働いても働いても、なくなってしまうお金。
どんどん追い込まれて行きました。

「どうして私ばっかりこんなにつらい思いしなくちゃならないんだろう?」

毎日生きる力が抜けてきて、次第に起きる時間も遅くなり、布団で過ごす時間が増えていきました。

そんな中、私は19歳の誕生日を迎えました。

私はその日もいつもどおりアルバイトに行かなければなりませんでした。

家族は「おめでとう」と伝えてくれて、それは嬉しかったです。

でも、「想像していた19歳の誕生日」とはやっぱり大きく違っていました。

大学生になって、友達に囲まれて、誕生日サプライズしてもらったことをSNSにアップしている友達。

それと対照的に、ひとりぼっちで、浪人してて、でも「受験生」というよりは「ほぼフリーター」な私。

自分がものすごく情けなく思えました。

ちょっと期待して開いたFacebookには、数人の友達がお祝いのコメントをくれていました。

もちろん嬉しかったですが、他の友達よりもコメントが少ないことに悲しくなって、
「きっと、みんな私のことを『ダメな奴』って思ってるんだろうな」
と勝手に解釈し、自分のすべての行動が恥さらしに思えて、すべてのSNSを非公開にしました。

しまいには、心配してくれる友達の連絡にも返信しなくなりました。

この時期の家では、最初に述べた「ちょっと不器用な親」が、「なぜ浪人してしまったのか、それは自分に甘かったからではないのか?」という内容のことを私に話し続けていました。

朝ご飯を食べているとき、リビングでくつろいでいるとき、車で出かけて運転している間も、ずっと。

いかに「正論」でも、「私のためになるもの」でも、それを聞くのは苦痛でしかありませんでした。

だから、親にも壁をつくるようになりました。

本当に孤独で、つらい時間でした。

はじめて「私はひとりぼっちだ」と思いました。自分が存在している理由もわからなくなりました。

本当に自分が嫌になり、ひきこもりになりました。

ただただ現実に嘆き、自分を責め続けるほかはありませんでした。

こうして自分の居場所を自分で失くしていき、自分の首をどんどんしめていったのです。

そんな私を変えたのは「弟の存在」だった

そんな私を変えたのは「弟の存在」だった

私には現在中学2年生の弟がいます。

彼には、幼稚園のころから「あるスポーツのプロ選手になる」という夢があります。

毎日泣きながらトレーニングして、大会に出場しては負けて悔し涙を流していた弟。

私がつらい浪人生活を送っている最中、そんな彼が、初めて大会で優勝したのです。

それを見た私は自然と涙があふれました。

感動・悔しさ・尊敬・焦り…、言葉にできない涙でした。

このとき私はハッとしたのです。「自分は何をやっているのだ?」と。

自分の夢を叶えるため、大会で負けてうまくいかなくても、自分のやりたいことと真剣に向き合い、結果を出した弟。

「じゃあ、私は何がやりたいのだろう?」
「私は将来どんなふうに生きたいのだろう?」
「そのために何を今やらなければならないんだろう?」

「他人にどう見られるか」ばかりを気にしていた私が、人生初めて「自分」を軸にし始めた瞬間でした。

弟のおかげで子どもに囲まれる機会の多かった私。
夏休みは弟とその友達と、虫取り網とかごをもって走り回りました。
子どもからあふれるキラキラが大好きで、何度も心が動かされました。

「今度は私の番だ。子どもたちに寄り添った仕事がしたい」と決意し、今度は「自分の意志」で大学進学を決意しました。

壁を乗り越えて、大学に進学。世界が大きく広がった

壁を乗り越えて、大学に進学。世界が大きく広がった

そこからアルバイトを2つ掛け持ちし、受験費や入学準備金を自分で稼ぎました。

奨学金制度について調べ、なんとか学費を工面できそうだということもわかりました。

単語帳を持ち歩き、隙間時間に勉強するなど、受験勉強も工夫して行いました。

高3のときよりも勉強時間は短かったですが、前よりもずっと身が入りました。

自然と「なんで私ばかり。予備校に通えさえすれば…」と思うことはなくなりました。

全て、「自分がこうなりたい!」という目標ができたから、一生懸命になれて達成できたことです。

こうして私は2年越しに大学入学しました。

歳は20歳でした。

「やればできるかも!」とちょっぴり思ったことを覚えています。

大嫌いでしょうがなかった自分をちょっとだけ褒めてあげたくなりました。

そこから私は、今までの我慢を晴らすように、自分がワクワクすることにはどんどん飛び込んでみることにしました。

教育ボランティアに参加したり、
教職課程を受けてみたり、
ずっと関心があった国際協力を専門とするゼミに入ってみたり、
ゲストハウスでアルバイトをして外国人のお客さんと一緒にギターを弾いて歌ったり、
初めて一人旅でタイに行ってみたり。

そこでたくさんの人に出会いました。

一生懸命つくり出していた「いい子ちゃん」の私ではなく、そのままの私に「いいね!」と言ってくれる人がたくさんいました。

自分のやりたいことにまっすぐ向き合って、ワクワクしながら生きているかっこいい同年代の大学生や、大人もたくさんいました。

「ああ、世界って広いな、めちゃくちゃに面白いんだな!」と気がつきました。

そして、とてつもなくワクワクしたのです。

「ちょっと不器用な親」との関係も、少しずつ変わってきました。

大学受験の挫折を乗り越えて自分に少し自信がついたので、親から言われたことをそのまま鵜呑みにして悲しむのではなく、自分なりに解釈して、親の伝えたいことを理解することが少しずつできるようになってきました。

また、「自分のやりたいことをやるにはどうすればいいか?」を考えて、様々なことにチャレンジしていく私の姿を見て、親の方からも「成長したね」などと言ってくれるようになりました。

前よりも今の方が、自分らしくいられるのはなぜか

一生懸命に「いい子ちゃん」でいたときの自分よりも、今の自分の方が好きだなぁと思います。

それは挫折を乗り越えたことで、しがらみから解放されて、私らしくいられるようになったからではないだろうかと思います。

一度は挫折をして、「ああもう人生終わりだ」と思ったけど、その後自分が行動を起こしてみたことでいろんなことがいい方向へ変わりました。

自分らしくいられる、「私の居場所」みたいな場所ができました。

「失敗そのものを嘆くのではなく、失敗をどう成功に変えていくかが大事で、それだけの力は誰でも持っているのだ」と気がつきました。

そんな私だからこそ、今つらい思いをしている誰かに手を差し伸べることができる…そこまでいかなくても、寄り添うことができるのではないか?

そう思い、キズキ共育塾へやってきました。

いまつらい思いをしているあなたへ

いまつらい思いをしているあなたへ

あなたはいま、どうしようもなく自分が嫌いかもしれません。

「どうして自分ばかり」と周りを責めたくなっているかもしれません。

どうしても学校や友達となじめなくて、「自分が存在する意味って何だろう?」って思っているかもしれません。

全然それでいいんです。

だって、きっとあなたが今いる世界がとっても狭いんです。

そこにあなたが「自分らしくいられる居場所」がなくってもしょうがないんです。

あなたは悪くない。だから自分を責め続けないで。

世界は思った以上にめちゃくちゃに広いです。

あなたの心が奮えてしまうような場所、自分らしくいられる場所は必ずあります。

そしてそれは他でもなく、「あなたにしか」見つけることはできません。

「あなたの居場所」と出会えるかどうか。

それはどこにあるかも、いつなのかもわからない、運のようなものだと思います。

もしかしたら、今いる世界から一歩踏み出した先にあるかもしれません。

行動することってとっても怖いです。

「失敗したらどうしよう?」
「どうせ自分には無理。」
そう思ってしまうかもしれません。

でも、失敗したら、どうしたらいいかを考えて成功に変えていけばいいんです。

それをできるだけのパワーと可能性は誰もが持っています。

だから、一歩踏み出してみませんか?

きっとキズキがあなたの勇気や思いに「いいね!」と言える、あなたの新しい「居場所」となるはずです。お気軽にご相談ください

※本文中の写真は、全てイメージです

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