講師紹介
僕も中学・高校不登校、高校中退の経験者~あなたの伴走者になりたい~
泉友
- 代々木校他
- 東洋大学国際地域学部
- 担当科目:英語、世界史
泉友(いずみ・ゆう)。中学校時代にインターネットにハマり不登校に。高校は人間関係のトラブルなどによって不登校から中退。大学進学を目指すも、それまで勉強してこなかった自分を受け入れてくれる塾はなかなか見つからず、やっと見つけたキズキ共育塾に入塾。講師やスタッフ、家族の応援を得て受験勉強を続け、東洋大学に合格。
今は大学で英語と国際関係について学びながら、キズキ共育塾の講師として、かつての自分と同じ悩みを持つ生徒さんを応援している。
記事に掲載されている情報は、掲載日時点のものです。
泉講師のストーリー
小学生のときは友達もいて活発に過ごしていた
小学生のころの僕は、一言で言うと活発でお調子者でした。
人前に出るのが好きで、クラスでそういう機会があると、すぐに手を上げていました。
体を動かすことも好きで、野球やサッカー等、よく友達と遊んでいました。
やがてみんながゲーム機で遊ぶようになったぐらいから、僕自身もそういった遊びを好きになりました。
体が小柄だったこととアトピー性皮膚炎で皮膚に傷がたくさんあったことから、いじめに近いようなものも受けましたが、友達にも恵まれ、そんなに辛い思いはしていませんでした。
インターネットにのめり込み昼夜逆転。段階的に不登校に
中学校1年生のころにインターネットにのめり込むようになり、そこから昼夜逆転の生活が始まりました。
もともと(お調子者ではありながら)集団生活が苦手だったこともあり、電子空間の居心地のよさに「居場所」を見出し、学校には週に2、3回しかいかなくなりました。
中学校は先生方のご助力もありなんとか卒業し、全日制の高校に進学することができました。
ですが、高校で人間関係のトラブルや目的の消失などがあり、2年生の秋には完全に学校に足を運ばなくなりました。
高校不登校の期間はずっとオンラインゲームに没頭し、一切外出しない生活をしていました。
高校中退と高卒認定からの大学受験を決意
高校2年生の年が終わりの時期を迎えたころに学校から呼び出しがあり、「このままでは3年間で卒業ができない」と告げられました。
そして、「高校を卒業したいなら、留年した上で通学を再開しなくてはならない。または、通学の少ない通信制高校への転校も考えてはどうか」と選択を迫られました。
そして僕はどちらの選択もせず、中退して高校3年生の年のうちに高卒認定を取得し大学に進学することを決意しました。
しかしいざ勉強してみようと思って予備校に問い合わせをすると、「勉強していなかった期間が長い」「学校に通っていない」との理由から入塾を断られてしまいました。
一度つまずいた人間には、社会はこうも厳しいのかと、絶望的な気分になりました。
そして、「何かまだ道はないのか」「不登校の期間があっても大学進学をサポートしてくれる塾はないのか」と探したところキズキ共育塾を見つけ、藁にもすがる思いで(と言っては失礼ですが、)相談に行くことにしました。
キズキ共育塾で自分と同じような人たちの話を聞いて、入塾
大学受験を決意したときに真っ先に抱いた不安要素があります。
それは、「これまで真面目に勉強をしたことのない僕が大学受験なんて目指せるのか」ということです。
「ここからどんなに勉強しても、勉強を続けていた人たちとはスタートラインが違いすぎて、そもそも無理なんじゃないか」という意識が、頭の中をずっとグルグル回っていました。
ですが、キズキ共育塾の入塾相談で、
「講師にも引きこもり経験がありながら大学進学した人がいる」
「不登校経験のある卒業生も、現在は大学で好きなことを学んでいる」
などと、不安要素をひとつひとつ解消してくれました。
「ここならがんばれる」「がんばろうと思った自分をしっかりとサポートしてくれる塾だな」と思い入塾を決意しました。
ずっと順調に勉強を続けられたわけではない
キズキ共育塾に入塾したときの僕は迷子みたいなものでした。
大学受験に向けて何をどうすればいいのか、一切わかりませんでした。
また、「大学受験をする」「大学に行く」と決めてはみたものの、実は具体的に行きたい大学、行きたい学部、学びたい学問は定まっておらず、目標として漠然としていました。
そのためか、勉強に身が入らないこともありました。
自分の「できなさ具合」に軽い失望を覚え、自分で決めた目標を達成できなかったときにはやる気を失うこともありました。
モチベーションや気持ちのコントロールは非常に難しく、憂鬱なときにはペンを手に取ることさえままならず、かといって娯楽に逃げると罪悪感が強く襲いかかってくるので、ベッドの上で一日中何もせずに過ごすなどもありました。
このように、受験期を振り返ってみると、決してずっとがんばり続けていたわけではありません。
模試の結果に嘆き、日々に疲れ、外に出られなかったという日も少なくありませんでした。
そんな僕を支えてくれたのは、キズキ共育塾の先生・スタッフと、友人、家族です。
たくさんの伴走者のおかげで、受験勉強を続けられた
「大学に行こう」と決めたときに「自分は何を学びたいか」と考え、真っ先に思いついたのが(具体的な目標ではないものの、)英語でした。
もともと英語に対して憧れを持っていたのですが、苦手意識を克服できずにいました。
そんな僕は、入塾から卒業に至るまで5人の先生に担当していただき、スタッフさんにもお世話になりました。
皆さんが親身に相談に乗ってくれ、ときには道を示してくれ、自分が目指したい道がどんどん見えてくるようになりました。
そして英語を勉強するうちに、言語の中に見え隠れしている文化の特徴や面白さなどに気づき、国際系の学部で世界を学び将来に活かせたらと思うようになりました。
その思いから、僕は東洋大学の国際地域学部を目指すことにしました。
受験勉強を続けながら、当時キズキ共育塾が実施していた「海外仕事体験プログラム」でベトナムに行ったことで、勉強をともにする友人もできました。
彼らの存在も、つらい受験期の大きな励みとなりました。
また、僕がキズキ共育塾に(自習も含めて)毎日通っていたとき、母はお弁当を作ってくれていました。
これはすごく嬉しかったですね。どれだけ励みになったか、言葉に言い表せません。
応援してもらっているのがすごく伝わってきました。
こうした方々が伴走してくれたこともあって、僕は受験勉強を続けることができ、そして東洋大学国際地域学部に合格しました。
「あのときがんばっていた自分」は、今でも支えになっている
大学合格について一言で言うと、「安心した」です。
高校中退後の「高校生」という自分を表せる「身分」を持たずにいる状況は精神的にとても厳しいもので、受験期には自分をどう存在証明していいものか、ずっと苦しんでいました。
なので、大学に合格し、「これから大学生として自分の道を胸を張って生きていけるんだ」と思ったときには、ずっと背負っていた肩の重荷がどさっと落ちたように感じました。うれしかったです。
現在は、国際的な分野とともにその分野を地域という小さな単位でどう活用するかという視点で、常に新しいことを学んでいます。
大学に入ってからも、忙しかったり大変だったりすることは多々あります。
ですが、大学受験を途中で投げ出さずに最後まで走りきれたこと、そして大学という新たなスタートラインに立てたことが大きな支えとなって、なんとか乗り切っています。
「『がんばった自分』は今の自分にとってとても大切で、そして今の自分の励みになっているんだな」ということを実感しています。
自分の経験を還元したいと思い、キズキ共育塾の講師になる
キズキ共育塾の生徒だったころ、先生方は僕ががんばることをすごく応援してくれました。
受験が終わった時期にその1年間を振り返り、この経験がどんなに素敵だったかに気づきました。
そして大学に入ってしばらくしてから、自分の経験を誰かに還元したい、連鎖させたいと思い、キズキ共育塾で講師になりました。
僕が行う授業では、勉強面では、まず「わからないところ」をなくしていくことを意識しています。
僕自身もそうだったのですが、勉強に慣れていない方は、授業で「わからないところ」があっても、恥ずかしかったり自信がなかったりで「わからない」と言えない場合が多いです。
よく言われるような、「わからないところがわからない」という状況の方も少なくありません。
僕もそういったことが尾を引いて困ったことがいっぱいありました。
だからこそ、「わからないところ」を明確にし、そこに対する課題を考え、疑問に思っていた箇所を解決していくようにしています。
メンタル面においても同じことが言えると思います。
なにがしかの「挫折」経験がある人は、「自分は普通ではないのではないか」「自分は何をやってもダメなのではないか」など、人に言いづらい悩みを常に抱えながら受験という壁に立ち向かっていくものです。
生徒さんが不安に思っている要素は、講師が一緒に一つひとつ解消していくのが講師の務めだと思っています。
「一緒にがんばる」という関係性が重要です。
生徒さんと講師、どちらかががんばるのではなく、一緒にがんばっていく。
自身で経験したからこそ、生徒さんに寄り添える形で一緒にがんばっていきます。
「将来の選択肢を増やすこと」が、大学受験で目指したものだったのかもしれない
さて、大学入学からしばらくは、将来は、大学で身につける語学のスキルを活かせるなんらかの形を見つけたいと思っていました。
しかし語学以外にも新たなことを学ぶ中で、他の可能性もいろいろ見えてきました。
そしてさらには「キズキ共育塾で大学受験を目指し、講師として戻ってきてかつての僕と同じ境遇にいる生徒さんを受け持てるようになった経験」があるからこそできることが何かあるのではないかと思い始めました。
まだ広い世界のほんの一部しか見ていないので、どういった形でこの経験が活かせるかも漠然としか見えていません。
こういうふうに、「将来に対する選択肢を増やせた環境」こそが、大学受験のときの僕が目指したものだったのだなと思います。
広い世界には、いろんな人がいます
ちょっと話を変えて、大学に入学してびっくりしたことをお伝えします。
高校中退を経験している人や謎のブランク期間がある人って、結構たくさんいるんです。
僕が大学で知り合った人だけでも、高校中退後に2年間引きこもって大学に入学した人や、何をやっていたか謎な5年間がある人がいたりします。
僕は自分の高校中退について比較的オープンに話しているのですが、高校中退や引きこもりの経験について、例えば「普通の浪人」と変わらない感覚で気軽に話してくれる人は、僕以外にも多いです。
「挫折経験」を話したがらない人もいるはずなので、「そういう人」は実際はもっと多いと思います。
それまでよりも広い世界に行くと、いろんな人がいるんだなと実感できます。
あなたが不登校や高校中退、引きこもりを経験していて、「周りにそんな人はいない。誰にも共感されない」と悩んでいても、実は同じような人はたくさんいるんですよ。
キズキ共育塾の生徒さんも講師も、不登校などを経験した人は多いですしね。
お悩みを抱えるあなたへ
どんな内容であれ、大体の悩みというのは解決が難しく、僕自身もまだいくつかの環境的困難を抱えたまま生きています。ときにそれは重く、ひどくつらく襲いかかって来るものです。
ですが、がんばれた経験があるからこそ、そして自分に自信が持てるようになったからこそ、「困難」と一緒にうまく日々を生きていけるようになってきました。
今の自分があるのは周りの理解や手助けありきですが、やはり一番大きいのは「がんばれた自分」がいるからだと思います。だからこそ僕は、生徒さんと一緒にがんばれる講師でありたいと思います。
あなたは独りではありません。キズキ共育塾で、一緒にがんばりましょう。まずはご相談ください。
保護者さまへ
先に述べたとおり、僕が受験生のとき、母は毎日お弁当を作ってくれて、本当に励みになりました。
「お弁当」というのは、あくまで「僕と僕の母親(保護者)の事例」です。
お弁当を好まないお子さまもいるでしょうし、お弁当を作ることができない保護者さまもいるでしょう。
ここでお伝えしたいのは、「家族が支えてくれているという実感は、お子さまにとって何よりも励みになる」ということです。
僕が言うのもアレですが、もしお子さまが苦しい状況にあるのなら、(お弁当に限らず様々な方法で)応援してほしいなと思います。
とは言え、ご家庭だけでお悩みを抱え込む必要はありませんし、ご家庭だけでは何をすればいいのかわからないこともあるでしょう。
キズキ共育塾は保護者さまだけでのご相談もお受けしていますので、お気軽にご相談ください。
泉講師の紹介は動画でもご覧いただけます。
【ネット依存にいじめ】不登校と高校中退のきっかけを経験者が語る
【高校中退後の勉強と進路】不登校からの大学進学を経験者が語る
【ゲーム依存ってどんな状態?】ゲーム依存だった当時のエピソードを経験者が語る
※泉講師の顔写真以外の写真は、全てイメージです
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