講師紹介
ひきこもり状態の大学院生活。苦しんだから、わかることもある
中田佳孝
- 代々木校
- 東京大学大学院在籍
- 担当科目:英語、数学、国語、物理、化学
「東大に行きたい」という思い。学部入学は失敗に終わったが、大学院で無事に念願を果たす。しかし、タイトなスケジュール、内定後の退屈な生活、研究の意義がわからなくなってきたこともあり、ひきこもり状態になり、1年後に中退。現在は、先輩や同僚の支えもあり、再入学して大学院の修了に向けて日々勉学に励んでいる。
記事に掲載されている情報は、掲載日時点のものです。
中田講師のストーリー
勉強ができるだけでは幸せになれるとは限らない
勉強ができても、それだけでよいわけではありません。
勉強ができても不幸だと思っている人はたくさんいます。
いきなりネガティブなことを言いましたが、でもこれって大事なことだと思うんです。
本当に大事なことは何か?幸せな人はなんで幸せなんだろうか?
私はその答えを知っているわけではありませんが、1つだけ、自信を持って言えることがあります。
それは、自分と真正面から向き合った経験が多いほど、自分なりの幸せをつかむチャンスも多く巡ってくる、ということです。
過去の私は、自分と真正面から向き合うことを避け続けてきました。
大学院を不登校になったときも、学習量が足りずに研究についていけないという自分の問題点や弱みから目を背けて、明日になればなんとかなるだろう、1週間後になればなんとかなるだろう、1か月後になれば……なんて考えていたら、生活が破綻してしまいました。
その間、自分が幸せになるチャンスはただの一度さえも訪れませんでした。一度も、です。
念願の東京大学大学院に入学するも、研究の意義を見失い「不登校」に
勉強に関しては、小学校のころから、何も「問題」がなかったかのように過ごしてきました。
大学は、とにかく東京大学に行きたかったんです。
というのも、両親との関係があまりよくなかったことから、地元を離れて親の影響力がないところに行きたい、独り立ちしたいとずっと思っていたためです。
東大が、家庭環境から逃げるための特急券のように見えたんです。
学部(大学入試)では落ちてしまったけれど、大学院では念願を果たし、入学することができました。
大学院は思ったよりも厳しいところでした。
高度な研究をしているし、スケジュールもタイトだし。
1年生のときはなんとか耐えて、2年生のときには就職活動もうまくいきました。
しかし、内定を得た後で「自分はこの会社に入ってサラリーマンになり、ある程度の給料をもらって一生を終えるのか」と思ったら、なんだか嫌な気持ちになってしまったんですよね。
それに大学院では、研究することの意義がだんだん見いだせなくなってきてしまったんです。
自分の研究は個人で黙々と進めていくものだったのですが、やっていて意味があるんだろうかと感じるようになりました。
「じゃあゲームとかしていた方がいいな」と思い、遊んだり引きこもったりする生活に堕ちていってしまいましたね。
自分が所属していた研究室は非常にレベルが高かったのですが、友達と遊びながらでもそこそこ勉強をすれば卒業できてしまうようなところ。
実際に、修士論文を修了前の1か月で仕上げて卒業したという強者もいます。
でも、自分にはその勇気がありませんでした。
「先生すみません」って土下座して言える度胸があればよかった。
だけど、自分にはできませんでした。臆病だったし、自分の不勉強を許せませんでした。
卒業せず、そのまま大学院に籍を置き続けましたが、ひきこもり状態だったし、生活もままなりませんでした。
だから、勉強もままならない。
ますます不勉強に拍車がかかってどうしようもなくなり、在学年限である3年を迎え、中退することになりました。
ひきこもり状態にあるころは、自分の指導担当だった先輩やその同僚の人がうちに来てくれて、近所のカフェで話をしたことがあったのですが、そういう出来事が自分の助けになりました。
その後すぐに大学院に通えるようになったというわけではありませんが、学校が自分を受け入れてくれる場所なのだとわかったので、ひとまず不安感がなくなったんです。
大学に問題があるわけでなはなく――ただ、自分の受け取り方の問題なんですよね。
ひきこもり状態のときも、実は外に出歩いたりはしていました。
週に1回アルバイトに行ったり、旅行に行ったり。書店で認知行動療法の本を読みあさったりもしました。
再入学をして再び大学院に通えるようになったのは、将来へのあせりを感じたからです。
「今通わないと生活していけなくなるぞ、行かないとやばいぞ」と思うようになってきたんです。
でも、何回か失敗しています。
再入学してすぐは通っていたけれど、1か月後に再び挫折しました。
「来月には本気出そう」と考えていても、やっぱりすぐに通えなくなる…。そういうことを繰り返していました。
まあ、当時かなり体力が落ちていたからしょうがなかったかなと思います。
今思えば、体を慣れさせるために必要な期間でしたね。
現在は、大学院の修了に向けて勉学に励む日々です。
就職先も決まりました。ひきこもり状態になる前とは違い、今は実は、普通のサラリーマンを経験してみたいなっていう気持ちがわいてきているんです。
苦しんだから、わかることもある。生きやすくなる方法を伝えていきたい
自分がキズキ共育塾で講師をしている理由は一つ。
「自分と同じようなつらさを味わってほしくないから」です。
一人で考える孤独な時間を過ごしていると、どうしても思考が負のスパイラルにはまってしまうし、行動も悪い方向に出やすい。
自分がこのような経験をして思ったのは、一人で悩む時間が無駄だということは、結局理詰めで考えないとわからないということ。
感情で判断するのではなく、「自分は今こういう状況だからこれをしたほうがよい」と考えるべきなんですよね。
自分は理系だからそう思うのかもしれませんが、合理的な判断は非常に大事。結論の出ないことに対して延々と悩むのは、悪い癖の一つだと思います。
当時の自分にも、理詰めで割り切る力があればよかったなと感じますよ。
キズキ共育塾に通ってくる生徒さんを見ていても、そう思うときがあります。
文句を言ったって、周りの環境は変わりません。
それよりも、直接働きかけてみたり、自分の心を変えたりするほうがよっぽど早いんです。
頑固さのせいで自分の考えをなかなか曲げられない子もいますが、こんなことで悩んでいるのは本当にもったいない。
そういう子が共感できるような教え方をしていきたいのですが、まだまだ自分の力不足を感じる場面が多いですね。
今がんばって勉強をして大学に入ったら、なんとか大学生をやって、気づいたら普通の社会人になっているというふうに、いつの間にか周りの人に育てられていくということが起こると思うんです。
たとえば、一般的に言われているように、幸せになるには「プラス思考」が大事だとします。
だったら、勉強と一緒に、そのよさを伝えていきたいんですよね。
でも、論理立てて説明しようとしても、どうしても難しい。
十代後半くらいは自我が強い時期でもあるので、他人の意見をなかなか受け入れられない。
自分の考えで自分を苦しめている生徒さんについては、その辺りを変えたいなと、よく思います。
なかなか成果が出なくて無力感を感じたりもしますが、やりがいにもなっていますね。
自分は「ひきこもり状態」というつまずきを経て、新たな価値を得ることができたなと感じます。
以前は引っかかっていたことでも、今は楽しいと思える場面が多くなりました。感受性が豊かになったと思います。
この経験が「よいもの」だったのか、「ただの無駄」だったのか……まだ自分の中で結論は出ませんが、とりあえずその判断は後に置いておくつもりです。人生の最後に考えればよいことだと思っています。
今、このページを見てくださっているあなたは、きっと学び始めようという気持ちをお持ちなのだと思います。
ただひたすら「勉めて強いる」のも良いかもしれませんが、一度立ち止まって自分と対話をし、自分の本当の気持ちに耳を傾けながら、学習してみてはいかがでしょうか。
キズキ共育塾にはそのためのヒントがたくさんあります。
幸せを掴むチャンスがたくさんほしい方、まずは一歩を踏み出してみませんか?ぜひキズキ共育塾にご相談ください。きっと温かいサポートが得られると思います。
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