不登校だった中学時代。受験勉強は自分を変える手段の一つ

不登校だった中学時代。受験勉強は自分を変える手段の一つ


寺谷友美
早稲田大学文学部在籍
英語, 国語, 日本史

寺谷友美(てらたに・ともみ。仮名)私立の中高一貫校に通うが、中学2年生の夏に不登校になり、ネット漬けの毎日を過ごす。一般的な高校受験はせずにサポート校に進学。そこでのボランティア体験をきっかけに、徐々に気持ちが前向きになる。自分の弱点を分析した効率的な受験勉強方法で、一般入試にて現役で早稲田大学に合格、進学。「苦しんだ時間はいつか羽ばたくための充電期間。日頃の小さな積み重ねで将来は変わる」との考えのもと、キズキ共育塾に通う生徒さんの「やり直し」をサポートしている。


中学時代:「生きていてもどうしようもない」ーー自分の殻に閉じこもっていた日々

中学時代:「生きていてもどうしようもない」ーー自分の殻に閉じこもっていた日々

私は中高一貫の私立中学に通っていましたが、中学2年生の夏ごろに、突然不登校になってしまいました。

何とか授業にはついていけていたのですが、授業以外の厳しい校則や人間関係に疲れてしまって、「自分は何のために勉強しているんだろう」と思い、先の見えない不安を抱いていました。

不登校になってひきこもっている間は、1日中インターネットを見て過ごし、自分の置かれている現実から逃避することだけを考えていました。

勉強する気力が湧かない上に、独学では何をやったらいいのかもわからない状態。

どの教科もまったく手つかずのまま、勉強してない時間だけが過ぎていきました。

生きていてもどうしようもない、いっそ死んでしまえたらどんなに楽かと毎日考え、自分の殻にこもって1日1日を過ごしていました。

授業に出席できず、また修学旅行や卒業式など、主要な学校行事に参加することもできませんでした。

受験勉強をすれば高校受験はできたはずなのですが、進学してもどうせまた不登校になるだけだと思い、中学3年生になっても勉強に取り組む気は起きませんでした。

ですが、大学で勉強したいという意思はあったんです。

大手予備校で勉強して高認(高等学校卒業程度認定試験)をとるか、不登校の生徒を受け入れてくれる通信制のサポート校に進学するか。

迷いましたが、結局サポート校に進学しました。


私でも誰かの役に立つことができるーーサポート校でのボランティアが自分を変えた

高校1年生になっても不登校は続いていましたが、中学校のころとは少し状況が違いました。

サポート校のクラスメイトは、みんな、私と同じような境遇を経験してきた人たちだったのです。

学校に行けば、クラスのみんなが教室で私のことを温かく接してくれました。

先生方も優しく理解のある人ばかりで、学校にいられる時間は楽しかったです。

このころには、2週間に1回ほど「美術館に行って作品を楽しむ」という趣味もでき、美術史や美学などの基礎知識を、少しずつ独学で勉強するようにもなりました。

大学に進学してじっくりと勉強したいという気持ちを、とても強く持つようになっていたんです。

それでも、高校1年生の間は学校に行ける日はよくて週に1日、悪いと学期の中で数回という状況。

学校の勉強をしたいという気にはあまりなれなかったため、単位は常にギリギリ。家ではネット漬けという毎日は変わりませんでした。

そんな私を一番大きく動かしたきっかけは、高校2年生に進級した際、たまたまボランティアに関する委員会に所属したこと。

当時私は、全く自分に自信がありませんでした。

普通の人と同じように学校へ行くこともできず、特技もなく、何事も中途半端な人間……そう思い込んでいたんです。

そんな私でも、何か他人のために役に立てることがあるのかもしれないと思い、少しずつボランティアに関わるようになりました。

私が通っていたサポート校では、長い間途上国への教育支援活動を行っていて、その活動に参加するようになったんです。

募金活動をしていると、知らない人から感謝される。

先生や同級生から任された、ボランティアに関する仕事をこなしていく――そういう出来事が重なるうち、「案外、自分でもできることあるじゃん」と思うようになり、少しずつ積極的に学校へ行くことができるようになっていました。

授業をしっかり受け、友達と喋り、学校にいることを楽しむ。

そんな時間が過ごせるようになったのは、何年ぶりのことだったか。

文化祭やスポーツ大会など、ボランティア以外の行事にも積極的に関わるようになり、いつしか学校を動かす中心のような存在になっていました。

不登校だったときには全く想像できなかった自分の姿が、そこにはありました。

そうした日々を送るうちに、「自分の将来を考えなければ」と考えるようなりました。

将来の目標が明確にあったわけではありませんでしたが、積極的に物事に取り組めるようになっていたおかげで、勉強に対しても、「もう一度、最初からやり直してみよう」という前向きな気持ちが湧いてきたんです。

「自分は勉強が遅れているから……」といった劣等感は、ほとんどなくなっていました。


一般入試に焦点を絞り、勉強にしがみつく苦しみはあったけど、受験は得難い経験

一般入試に焦点を絞り、勉強にしがみつく苦しみはあったけど、受験は得難い経験

大学受験をするなら私立文系一本。

というのも、出席日数が足りなくて公募推薦は利用できなかったんです。そのため、一般入試のみに的を絞ることにしました。

そして、志望校は早稲田大学文学部。昔近くに住んでいたため愛着があり、なおかつ美術史の勉強ができる環境が整っていたからです。

非常に高いハードルでしたが、妥協して目標を設定してはいけないと思っていました。

高校受験をしてないために、英語は基礎が全く足りていませんでした。

受験勉強を始めた当初は、まずは英語のやり直しに集中して取り組みました。

高校2年生の3月から1年間個別指導塾に通い、中学生レベル(高校受験レベル)から文法・単語を勉強し直しました。

受験勉強以前に基礎力が不足している自分にとって、最適な方法だったと思います。

効率的に学習を進め、夏までにはどうにかセンター試験レベルまで達することができました。

国語は得意だったので、受験勉強を始めた当初から早慶レベルの過去問に取り組むことができ、また秋ごろには英語も確実な得点源となっていました。

秋の時点で、残る課題は日本史だけだったんです。

ただ、日本史は、12月に入ってもセンター試験を想定した模試で6割程度しか取ることができず、このままでは早稲田大学や慶応大学の文学部の入試問題を解くなど夢のまた夢、という状況でした。

というのも、古代から近世にかけての分野の復習が根本的に足りておらず、基礎からのやり直しが必要だったんです。

せっかく英語と国語をここまで伸ばしたのに、日本史が原因で落ちてしまっては悔やんでも悔やみきれないと思い、それからの1か月は日本史漬けの日々でした。

英語や国語もほどほどに過去問をこなしつつ、1日8~10時間ほど、ひたすら日本史を丁寧にやり直していきました。

ようやく日本史の通史の勉強が終わったのは、センター試験の当日の朝でした。

試験が終わった日の夜、予備校のサイトを見ながらおそるおそる自己採点をしてみると、なんと日本史の結果は100点。

3教科の合計も90%を超えていて、嬉しさのあまり、正直泣いてしまいました。

センター試験利用方式で受験を申し込んだ大学にはおそらく合格するだろうということで、それからの1か月は余裕を持って早稲田大学の過去問に取り組めました。

しかし、2月に入り、私立大学の一般受験が始まる直前に、私は知人の突然の訃報を受け取りました。

本命の受験日が近いというのに、1日中泣き続けて、夜遅くに予備校から家に帰ったときには心身ともにボロボロといった状態。

もともとあまり精神的に強い方ではない上、身近な人の死に触れた経験も初めてだったんです。

翌日から早稲田大学受験日までの1週間を乗り切れるか、不安でいっぱいの状態でした。

ですが、ここで諦めてはいけない、負けてはいけないと思い直し、それからの1週間はしがみつくようにして受験を乗り切りました。

早稲田大学の問題にも確実に対応できるレベルには達していたので、受験中はひるまずに、目の前の問題を解くことだけに集中しました。

第一志望の早稲田大学文学部の受験が終わった私が感じたのは、「合格したかはわからないけれど、自分は強くなった」との思い。

自分にとって、これは受験の結果以上に意味のある「答え」だったと思っています。

2月下旬になり、家に次々と舞い込んできたのは、早稲田大学文学部・文化構想学部、慶応大学文学部などの合格通知。気がついたときには、受験した全ての大学に合格していました。

知識ゼロの状態から1年で駆け抜けた受験生時代は、想像していたよりもずっと壮絶で、苦しいことも多かった。

だけど、苦しかった分、受験後に残った財産は何にも代えがたいほど大きかったです。

それは受験勉強で得るさまざまな知識だけではありません。

支えてくれる方々との密な交流、必死に努力して何かを達成する意義など、人生を変えてくれる様々な出会いが、受験勉強を行った1年間に詰まっていました。

いま私は早稲田大学で、夢だった美術史の勉強をするかたわら、高校時代から続けてきた途上国へのボランティア活動を、今度は「大学内のプロジェクト」という新しいフィールドで行っています。


「自分を変えたい」という勇気は想像を超えた未来へと連れて行ってくれる

「自分を変えたい」という勇気は想像を超えた未来へと連れて行ってくれる

私は受験時代、「伏久者、飛必高」という六文字を座右の銘にしていました。

中国の古典から生まれた格言ですが、書き下しにすると「伏すこと久しきは、飛ぶこと必ず高し」という文になります。

「人の本当の価値は、傍流や逆境にいるときにこそ決まる。あせらずに取り組んでいれば必ずチャンスが巡ってきて、大きく羽ばたくことができる」という意味を持っています。

つらい経験や苦しんだ時間は、決して無駄にはならないと思っています。

私は長い間、不登校・引きこもりの状態を経験しました。毎日の生活をなんとか過ごすだけで精いっぱい。それは、日常の何もかもが恐ろしく、何をしていても罪悪感に押しつぶされそうな日々でした。

ですが、自分に悩み、ひたすら苦しみながらも答えを出そうとする時間は、決して空白などではありません。

その後でしっかりと羽ばたいていくためのエネルギーを蓄える、充電時間ではないかと思います。

つらい状況の中にあっても、ほんの少しでも「自分を変えたい」という勇気を持ってみることは、想像をはるかに超えるプラスのエネルギーを生み出します。

起きたら、3分だけ外に出てみる。

短い小説を読んでみる。

ちょっと近くのカフェに寄って、おいしいドリンクでも飲みながらゆっくりしてみる。

……そんな些細な変化でかまわないのです。そうした変化の積み重ねで、つらかった日々は少しずつ変わります。

その手段の一つが、勉強ではないかと思うんです。

受験勉強は将来に直結する大きな体験。そして、つらい思いを抱える中で培った未来へのエネルギーを、一気に昇華させることができる方法でもあります。

高校受験や大学受験は確かに高い壁ではあります。ですが、無理に壁を飛び越える必要などありません。

努力次第でその壁の一番上まで届く階段を、自分でつくり上げることができます。受験当日は、その階段をただ一歩登るだけでよいのです。

その階段の一段一段というのは、先ほど述べた「些細な変化」そのもの。勉強に置き換えれば、日頃の小さな学習の積み重ねなんです。

今の私のお仕事は、あなたの夢へと続く階段づくりを、全力でサポートすること。

キズキ共育塾には、ちょっとカフェに寄ってみるような感覚で声をかけていただければ嬉しいです。ぜひ一度、キズキ共育塾に来てみませんか?きっと前向きな気持ちになれると思います。


※文中の写真は、全てイメージです。


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