講師紹介
「無難な人生」に疑問を持ち、高校教師から大学院へ。最短で生きることだけが正解じゃない
村田綾香
- スタッフ
- 早稲田大学大学院 文学研究科 日本近現代文学専攻
村田綾香(むらた・あやか。仮名)。1988年8月生まれ、愛知県出身。
大学卒業後、公立高校で国語教師として数年間働き、現在は早稲田大学大学院文学研究科・日本近現代文学専攻に在学中。
趣味は掃除。悩み始めたら掃除をして、気分を切り替える。
キズキ共育塾では、コラムの執筆などを通じて、お悩みを抱える生徒さんや保護者さまが「次」への一歩を踏み出せるようサポート中(※講師ではありません)。
記事に掲載されている情報は、掲載日時点のものです。
村田スタッフのストーリー
「無難な人生」に疑問を持ち、改めて文学を学ぶため大学院に再進学
最初に簡単な自己紹介をします。
大学では文学を学び、大学卒業後は公立高校で教師として数年間国語を教えていました。
現在は休職して大学院へ進学し、「明治から大正期にかけての日本の文化・文学」を中心に研究しています。
就職からの再進学という「人生の方向転換」を考えたのは、中学校を卒業して高校へ進学し、大学を経て就職して働き続ける…という、比較的「無難な人生」を歩んできた自分に対して疑問を持ったことがきっかけでした。
そして「そもそも、なぜ自分は文学の勉強を志したのだろう」と自分自身で問い直した結果、「より高度な研究」という道を少し覗いてみることを決意したのです。
「やりたいこと」はいつか見つかればいいし、見つからなくてもいい
さて、中高生時代の私は、勉強面にも生活面にも特に問題がなく、手間のかからない「優等生」だったと思います。
当時は「無難な人生」を少なくとも表面的には受け入れて過ごしていました。
授業やその他の学校生活をおろそかにすることもなく、可もなく不可もない生活をしていました。
そして、高校卒業後は文学を学ぶために大学に進学しました。
私は、「自分が何を学びたいか」と考えたときには、明確に専門分野が思い浮かびます(つまり文学です)。
大学受験時の学部選択でも、迷うことはありませんでした。
一方、「自分が将来的にどうしてもやりたいことは何か」と考えたとき、少なくとも大学受験の時点では特に思い浮かんでおらず、「いずれ見つかればいいかな」くらいに考えていました。
もっと言うと「ずっと見つからなくても別にいいかな」とも思っていました。
それは、私の価値観では「常に『やりたいこと』が決まっている必要はなく、それでも自分で納得できる道を進んでいけるのが『いい人生』だ」と思っているからです。
また、「やりたいこと」が見つかったとしても、それがずっと同じだとも思いません。
一歩一歩進んで行った先で新たに見えてくるものこそが「やりたいこと」であればいいなあと思っています。
他の人たちもそんな感じかなと思っていたのですが、教員として高校生に進路指導を行って、「(将来的に)やりたいこと」がわからないために、進路や大学(学部)、人生そのものについて悩む生徒さんがとても多いということを強く実感しました。
そういう生徒さんの話を総合すると、次の2パターンにまとめられます。
①「(将来的に)やりたいこと」と「高校卒業直後の進路」が繋がっていなければならない、という価値観があるため、「やりたいこと」がないと、進路について(私から見ると)必要以上に悩んでしまう。
②「(将来的に)やりたいこと」があるのは絶対的にいいことだ、という価値観があるため、「やりたいこと」がない自分のことをダメな人間だと思ってしまう。
もちろん価値観は人それぞれで自由です。
ですが、自分の価値観のために自分が「次」に進めなかったり生きづらくなったりしたのでは、本末転倒だと思います。
価値観とは、「自分を縛る思い込み」に過ぎない場合もあるのです。
私は、上記のような状態に陥っている生徒さんには、進路指導などを通じて私の経験を伝えたり、「やりたいことが見つかったときに、また改めてやり直せばいいんじゃない?それまでは『無難な選択』や『なんとなく興味のある方向』で進路を決めることも悪くないと思うよ」と助言をしたりしていました。
すると「そんな考え方もアリなんだ」と価値観を変えて、「次」を決められるようになる生徒さんもいました。
私自身も含めて、一定の価値観(思い込み)に縛られず、みんな生きやすいように生きることができたらな、と思います。
「最短で生きること」も、「絶対的にいいこと」ではない
そして私自身も、働くうちに「無難な人生」に疑問を持つようになり、「やりたいこと」として「より専門的な文学の研究」を新たに見つけ、キャリアチェンジをはかることとなりました。
生徒さんへの助言は、実は未来の自分への助言にもなっていたのかもしれないと思っています。
仕事を始めて数年で新たに「やりたいこと」を見つけて人生の舵を大きく切ったわけですが、そのために社会人としてのキャリアを中断するという「無難な人生」とは大きく異なる決断をしたのですから、実は私は「優等生」どころか(世間の大勢から見れば)隠れ問題児なのかもしれませんね。
もしかしたら、高校生の時点でもっと「無難な人生」を疑問視して、周囲に迷惑をかけながら「自分の本当にやりたいこと」を模索していれば、最短で今の進路を選んでいたかもしれません。
ですが私は、「やりたいことの有無」と同様、「最短で生きること/回り道をすること」も「絶対的にいい/悪いこと」ことだとは思いません。世間的には少数派であっても、自分としてはこれでよかったと思っています。
「何度でもやり直せる社会をつくる」というメッセージに共感した
大学院で学ぶ中、友人がSNSでキズキ共育塾についてシェアしたことで、私もその存在を知りました。
まず、私自身が「人生をやり直している」組なので、キズキ共育塾の「何度でもやり直せる社会をつくる」というメッセージに純粋に共感しました。
また、教員として「無難な人生」に馴染めず悩んでいる生徒さんとたくさん関わってきたことから、キズキ共育塾の行っている活動が今の社会に必要なものだと痛感しました。
そこで、私もキズキ共育塾の活動に参加することにしたのです。
もしかすると、「何度でもやり直せる」という言葉からは、見る人によっては、積極性を要求されるような、気後れしてしまうイメージを受けるかもしれません。
ですが、キズキ共育塾には、漠然とした不安を抱えながらでも一緒に考えていけるあたたかい雰囲気があります。
個々の問題に応じて寄り添うことができる、柔軟な環境だと思っています。
キズキ共育塾は、一人ひとりにとっての「よい人生」を応援します
キズキ共育塾には、最大公約数としての「よい人生」ではなく、一人ひとりの生徒さんにとっての「よい人生」を応援する気持ちの強い講師・スタッフがたくさんいます。
また、「何度でもやり直せる社会をつくる」という理念は、挫折からの巻返しを後押ししてくれる言葉ですが、同時に、「挫折は失敗ではない」という意味も含んでおり、何が「成功」「正解」であるかは、一人ひとりがそれぞれの価値観で判断するものであることを示唆してくれていると私は解釈しています。
キズキ共育塾には、挫折してしまったことや周囲と歩む道が異なることに悩んでいる方が、その方自身にとって何がよいことなのかを一生懸命考えられる環境が整っています。
お悩みを抱えるあなたへ
お伝えしてきたとおり、私は大学を卒業して就職するまでに特別大きな「挫折」や失敗を経験していませんし、就職した場所でも大きな問題はなく過ごしてきました。
それでも今、「やり直しの人生」を歩んでいます。
言ってしまえば、これまでの人生すべてが大きな失敗で、それが「挫折」経験ということになるかもしれませんが、私自身はこの回り道を肯定的に捉えています。
理由を説明するのは難しいものの、一つ言えるのは、一回「挫折」をしても、あるいは「挫折」を繰り返してしまっても、そこで人生は終わらないということです。
「挫折」がいいか悪いかということではなく、その結果、もっと自分にぴったりな道にシフトできた、と思えば少し明るい気持ちになりませんか?
とは言え、自分だけで思い詰めてもうまくいかないこともあります。そんなときは、キズキ共育塾にお気軽にご相談ください。
保護者さまへ
お子さまが悩んでいるのを目の当たりにされることは、非常に辛いことだと思います。「一刻も早く救いたい」と思われるお気持ちをお察しいたします。
どんな症状にも効く万能薬がないのと同じで、お子さま本人にとって何が救いになるかについては、唯一の方策はないかもしれません。
ですが、お子さまの言葉を拾い集めていけば、「次」のステップへのヒントが見えてくるのではないかと思います。
まずは安心して不安や不満を言える場をひらき、そして根気よく対話を続けていくことが救いになると信じて、向き合っていただけるとよいのではないでしょうか。
キズキ共育塾やご家庭がそういった場であることを願っています。保護者さまだけでのご相談もお受けしていますので、お気軽にご相談ください。
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