講師紹介

勉強に嫌気がさし高校中退。大学受験を2度失敗した経験も今は必要だったと思える

田中ありす

  • 代々木校
  • 慶應義塾大学文学部卒業
  • 担当科目:英語

画一化された授業に違和感を持ち、高校受験の勉強は全くしなかった。高校に進学してからは宿題と部活の毎日で全く自由がなかった。高校入学から2か月程で不登校に。保健室登校を試しても続かず、最終的に学校が嫌いになり高校中退。「同じ価値観の人に出会えるかもしれない」という期待を持ち続け、2回の受験失敗を経て慶應義塾大学に合格。

記事に掲載されている情報は、掲載日時点のものです。

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学校というシステムが嫌いだった

中学生時代の私は、高校受験の勉強は一切しませんでした。

勉強そのものは好きでした。自分のためになるものですし。

でも、全員が一つのところに集められて、同じ授業を聞かされて、わからない子はわからないままな一方で、先に進みたい人はほったらかし。

「それぞれ理解するスピードは違うのに、みんなに同じことをさせるのはどうしてだろう」とずっと違和感を持っていました。

だから、すごく反抗していたんです。

ずっと腕を組んで下を向いて、何もしない。50分の授業が終わったら速攻でプリントを捨てて、それで終わり。

それでも何とも思わない先生がもっと嫌いになって、学校そのものも嫌いになり、勉強のモチベーションがどんどん下がっていったんです。

高校へ進学、不登校、ひきこもりに

高校は、地元である福井県内の進学校に進みました。

「自分と同じような子たちが集まってくる」と思って、すごく期待していたんですよ。

それまで気の合う友達がいなくて、同じ価値観で話せる友達がほしかった。

「高校なら友達ができるんじゃないかな」って思っていました。

でも、そうでもなかった。

たぶん私もよくなかったんですけど。あんまり打ち解けようとしていなかったのかな。

また、「レベルの高い高校だから勉強(授業)も面白いんだろうな」と思っていたけど、最初から完全に受験モードでした。

予備校が近くにないので、高校が全部やりたがるんですよね。

朝から夜まで授業があって、宿題が大量に課される。

しかも古い学校だからか「文武両道」を掲げていて、部活もかなり本格的にやらされました。

部活は部活できつかったですね。部活をこなして帰宅するのがだいたい毎日22時ごろ。

それから山のような宿題をこなすとなると、心も体もだんだん持たなくなってきてしまって。

もっと自由に、受験のためじゃなくて、自分の好奇心のために勉強したかった。

高校入学から2か月くらいで耐えられなくなり、不登校になりました。

高校1年生の11月、12月あたりは、保健室登校をしていましたね。

保健室に先生が勉強を教えに来てくれたりして、勉強を進めていました。

けれど、途中で勉強する気がなくなってしまい、行かなくなりました。テストも受けられず、留年。

結局、2回目の高校1年生になりました。

それでも最初の1日しか登校していません。2回目の1年生は本当に学校に行きづらくて。

先生が家庭訪問をしてくれたり、友達が手紙をくれたりしたんですが、どうしても学校へは行けなかった。

「どうして学校に行けなくなったのか」とよく聞かれるんですけど、もう自分でもわからないくらいいろんなことが複雑に絡んでいて、一概に何ですとは言えないんですよね。

その頃には、学校というものが全部嫌になっていました。

学校という存在への違和感と、学校の勉強のさせ方、家のこと、自分自身のこと…とにかくいろいろ抱えていたものがそこで爆発してしまったのかな。

同時に、自分が全部崩れた感じがしました。

それまでは「勉強ができる」ということが自分のアイデンティティだったんですが、それすら奪われてしまったんです。

「好奇心のままに、純粋に自分のためになるから」と思って勉強していたつもりだったんですが、でも実はそれは、「学校が用意した指導要領に沿った枠組みの中だったんだ」ということに気づいたんです。

国が教育するっていう仕組みに乗っかって、それを自分のアイデンティティまでにしていたということがすごく悔しくて。

自分が今までやってきたことは何だったのだろうと思いました。だからもう勉強もできなくなってしまった。

アイデンティティが崩れてしまったことで、誰にも会えなくなってしまったんですよ。

今まで田中ありすちゃんというと「ああ勉強できる子ね」と誰からも思われていたので、「勉強ができない自分」を誰にも見せられなくなってしまって。

学校を中退し、誰とも会えず、ひきこもりになりました。

その頃、親と折り合いが悪かったのもあって、地元で一人暮らしをしたり、叔母と祖母にお世話になったりしたこともありました。この時点で17歳。

18歳でもう1年ひきこもって、そこでは何をやっていたのかは覚えていません。確か実家に帰ったんだと思います。

実家に帰ってきたのは、叔母などに迷惑をかけてしまうということもありますが、「自分一人でとことん考えたい」と思ったからかもしれません。

ひきこもって3年くらいは、自分の人生をひたすら振り返って内省していました。「あのときこうしていれば」とずっと想像していたり。

高校中退からの大学受験を決意

高校中退からの大学受験を決意

19歳になったときに、自分の状況にあせり出しました。

同期は大学生になる年齢じゃないですか。

本当なら高3の冬が終わって卒業しているんだなと思って。そのことに気づいたときあせりを覚えました。

あと、この頃になると、内省が終わったんですね。

自分のことを考え尽くしてやることがなくなって(笑)。そうしたら、ちょっとだけ外に出られるような気がしたんです。

そろそろ出なきゃいけないというあせりと、出られそうという気持ちがあって。

でも、外に出るなら福井県の中じゃなくて、東京と決めていました。

福井ではまだそのころは出歩けなかった。

小さいときからずっと東京に行きたくて。福井県の価値観とは決定的に何かが合わない気がずっとしていたんです。

だから「東京で一人暮らしをすること」を決めました。

「大学には行くしかない」と思っていました。

「大学へ行ったら、求めているものがあるかもしれない。価値観の合う人とも出会えるかもしれない。面白い人たちがたくさん集まるところに行けば、価値観が合ったり共感できる友達ができるんじゃないかな」と思いました。

「そのためには、レベルの高い大学を目指した方がいいのかな」とも思っていました。

その頃の勉強へのモチベーションは、以前の「純粋に自分のため」ではなく「人と出会うため」に変わっていました。

上京して、高等学校卒業程度認定試験(高卒認定、高認)対策用の塾をまず探し、勉強を始めようとしたんですが、いざ向き合ってみると、できなかったんです。

勉強はしたいはず。必要性もわかっている。

でも目の前の勉強はできませんでした。

「勉強するんだ」という気持ちになれなかったのと、単純に、勉強するという習慣が抜け落ちてしまっていました。

机に向かってペンを握るということさえつらかったです。

それに加えて、「過去の自分の状態のように勉強しなくちゃいけないのか」と思うと、途方もないようなことに思え、プレッシャーに感じていました。

昔の自分は毎日すごい努力を積み重ねていたけれど、3年間何もしなかった自分が、また努力できるのか不安でした。

またそこに行くには、今までさんざん悩んできた過程を経なければいけないのが気持ち的にも嫌でした。

学歴社会に土下座して戻ってきたような気分で。

でも、「人に出会える可能性」は、結局勉強にしか感じられませんでした。

高認に合格して1年目は、かねてから行きたいと思っていた、慶應義塾大学の文学部だけ受験しました。

個人塾に通っていたんですが、「練習のつもりで受けたら」と塾長に言われて受けてみたんです。

試験そのものは英語と小論文と世界史なんですが、世界史が一切できなくて、当然不合格。

でも、英語と小論文はそこそこできたので、これはいけるなと感じました。

次の年は、それまでの塾じゃ駄目だと感じ、大手予備校に通うことにしました。

自信がなかったのでレベルを低めに設定したんですが、入ってみると授業が合わなかった。

クラスのみんなが志望している大学も自分とかなり違っていて、モチベーションも上がらず。

同じ大学を目指しているなら仲間みたいに思えてがんばるのでしょうが…。

ですがそれ以前に友達が作れなかったですね。やっぱり集団がダメでした。

結局予備校も不登校になってしまいました。当然勉強もできず…。

その年は、1年目に通っていた塾の塾長さんの家にお世話になっていました。

予備校もその家から通っていたんですが、途中からそのお家の中の環境がよくなくなってしまって。

そこで、「もうこのままじゃダメだ、背に腹は変えられない」と思い、実家に帰ることにしました。

「勉強するために自分をコントロールするには一番よい環境だ」と、恥を忍んで帰ったんです。

受験は2度目も失敗してしまったけど、自分にとってよい変化もありました。

塾長の家族と一緒に住んだことで、少しだけ、社会性を取り戻したんです。

いわばリハビリのようなもので、精神的にたくましくなりました。

大人になれたのか、気持ちも大きくなって。実家に帰ってからも、自分の親と普通に話せるようになりました。

引きこもりではあったけど、普通に自分の部屋から出て、一緒にご飯も食べていましたし、関係は以前よりだいぶよくなっていたかなと思います。

こうして3年目は、相変わらず外には出づらかったですが、普通の浪人生をやっていました。

その頃には、机に向かうことができないとか、そういう悩みも吹っ切れていて、普通に勉強できるようになっていました。

受験のことだけを考えて生活できたことで、順調に成績も伸びていきましたね。

そして、志望していた慶應義塾大学文学部に合格しました。

いろいろなことに早く気づいていれば、3年も時間はかからなかったのに。

だから上手くいかなかった2年間のことを思うとちょっと悔しいですね。

でも、人として成長するために、私には必要な時間だったんだと思っています。

大学生活のこと

大学での専攻は、2年生のときに美学美術史学を選びました。

大学に入る前は哲学に興味があったんですが、大学に入って演劇を始めて、美学美術史学専攻の中に演劇を扱うゼミがあったため、そちらに惹かれていきました。

中学生の頃は、犯罪心理学を勉強したかったんですよ。「世の中から犯罪をなくしたい」という思いがあって。

でも、犯罪をなくすって、治療とかそういうことではなくて、人々の心が豊かになることだと思うようになったんです。

文化みたいな美しいものに触れることで人の心が安定するんじゃないか。美術とかそういうものが、人の心に必要なのでは、と。

そんな理由で美学美術史学専攻にいきたくなったのかもしれませんね。

とはいえ、私は実際ほとんど大学には通いませんでした。演劇に没頭していたんです。

最初はサークルから始めて、4年生くらいから劇団に入りました。

気づけば、4年間ずっと演劇しかやっていなかった…。大学の卒業単位はぎりぎりでした(笑)。

昔から興味があったというのが直接のきっかけですが、今思うと演劇も割とリハビリになっていたんだと思うんです。

人とのコミュニケーションの取り方とか、人前で話すことなど。役者同士の台詞のやり取りも、人の心や仕草を読む必要があるので、かなりリハビリに近かったと思います。

もしかしたら、人とのコミュニケーションというか、ふれあいに飢えていたのかもしれませんね。

上京して大学生になりたかった元々の動機は、「同じ価値観の人に出会いたい」という思いでした。

でも大学生活を振り返ってみると、自分と全く同じ価値観を持った人と出会えたかというとそうでもないかな…。

ただ、演劇をする人って多かれ少なかれ、何かに不満があったり、ちょっと変わった価値観を持った人が多いと思うんですよね。

演劇を通してそういった友人がたくさんできたのはよかったなと感じます。

キズキ共育塾で教えてみて感じたこと

キズキ共育塾で教えてみて感じたこと

就職活動が終わったあと、演劇以外にやりたいことをやろうと思って、Twitterでキズキ共育塾を見つけたんです。

生徒さんを支援することで、自分の経験や苦労を還元できたらいいなと思い、講師に応募しました。

キズキ共育塾で授業を行う中で、「学校に馴染めない」「どこか勉強から逃げてしまう」といった生徒さんの気持ちが、すごくわかるんです。

いくら頭ではわかっていても、うまいツールや適切な手段がないというもどかしさ。

不登校や中退を経験した人が勉強し直すということが、本人にとってどれだけハードルが高いか。

既存の塾じゃうまく合わない、馴染めない。

私にもこんな時期があったなと、全部自分が心から理解できることです。

でも、彼らと一緒にいるときは、「教えてあげる」「話を聞いてあげる」といった意識は特に持っていなくて、単純に一人の人間同士として普通に話しています。

何も考えずに接するというか、特に意識しないかも。

むしろ、勉強をネタに楽しくお話しする感覚に近いかもしれません。

「こちらがたくさん教えてあげる」とか、どっちが上とか、そういう感覚は持っていないですね。

その人が勉強したいと思ってキズキ共育塾に来ているわけで、それはその人の意思です。

それを私がちょっとだけ手伝って、その人が自分で自分の人生をハッピーにできたらいいな、と。私はただ、きっかけになるだけです。

生徒さんそれぞれの人生もですが、なにより、その人が「今から勉強してこれからの人生を変えるんだ」って思ったところを尊敬しているし、その気持ちを大切にしてほしいなと思っています。

人が、自分の人生を変えるために何かをがんばるってすごいことじゃないですか。

そこに敬意を払っているし、それがうまくいくように応援していきたいです。

キズキ共育塾に来ようかどうか迷っている人へ

キズキ共育塾に来ようかどうか迷っている人へ

私は、ひきこもっていたとき、もう楽しいことなんて一生ないと思っていました。

でも、一歩踏み出してみたら、そんなことはなかった。なんだかんだで楽しいです。

意外と面白い人もいっぱいいるし、面白いこともたくさんあるから、もったいないよ。

私は、不登校になる、中退をするということは、「既存のシステムにノーと言うこと」だと思っています。

今悩んでいるあなたは、自分のことを「つまづいている」と思うかもしれない。

けれど、実は、他の人が通り過ぎてしまうところで、「おかしいぞ」と気づくことができているんです。

それって、すごく感受性が豊かで、人とは違うものを持っている、「ノーと言える、行動できる強さ」を持っているということですよね。

そんな人たちこそまた社会に出て、新しい発想で、今までとは違うものを作る原動力になれるんじゃなんじゃないかなと感じています。

だから、ぜひ社会に出てきてほしい。助けが必要なら、私ができる限りしていきたい。

そして、この社会で一緒に何かをやれたらいいなと思っています。

ぜひ一度、キズキ共育塾に来てみませんか?きっと前向きな気持ちになれると思います。

※文中の写真は、全てイメージです。

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