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定年退職後、一番やりたかった「不登校や引きこもりの子どもたちの支援」に取り組む


山田茂樹(やまだ・しげき)
早稲田大学理工学部卒業
数学中心に、理系担当。「現場責任者」も行う。

山田茂樹講師(公民連携事業)。1958年生まれ。東京都出身(吉祥寺でずっと過ごし、埼玉県を経て、現在はまた東京都内に在住です)。

■担当事業
関東で、「公民館などで行う、教室型の『生活困窮などの、困難な環境にある中学生・高校生』の学習支援」など、複数の事業を担当。
■趣味など
定年退職済みで、現在行っている仕事はキズキの公民連携事業だけです。定年退職後は、別の塾で講師を行っていた時期もありました。 読書、特に美術や哲学などの古典が好きです。最近では、徒然草の現代語訳を改めて読み直しました。
(2024年6月15日公開)

■やりがいは、一番やりたかった「不登校や引きこもりの子どもたちの支援」に、実際に取り組めていること

公民連携事業のやりがいは、本当にたくさんあります。

個人的に大きなやりがいは、自分が一番やりたかった「不登校や引きこもりの子どもたちの支援」に、実際に取り組めていることです。

そして、子どもたちや支援員仲間に教えてもらうこともたくさんあります。

子どもたちからよく聞くこと〜大人たちが自分にこんなに真剣に向き合ってくれると思わなかった〜

やりがいは、一番やりたかった「不登校や引きこもりの子どもたちの支援」に、実際に取り組めていること

子どもたちと接することで、「今の子どもたちの文化」を知ることができます。「何が流行っている」「今の中学校はこうなっている」とかですね。

ですが、もちろんそれだけではなく、「厳しい環境にある子どもたちを取り巻く状況」についても伝わってきます。

よく聞く話は、「大人たちが自分にこんなに真剣に向き合ってくれると思わなかった」というものです。

彼らの周りにいる大人たちのことを、悪人だとは言いません。

ですが、いろんな事情の結果として、そうした子どもたちは、周りの大人たちから十分な面倒を見てもらうことができなかったのだなと思います。

そうした子どもたちは、サポートを受ける中で「自分たちも、将来、同じような状況にある人たちを助けられるようになりたい」と言ってくれることもあります。

支援員仲間は、大学生、現役世代、シニア世代など、様々な人たち

子どもたちだけではなく、一緒に働く仲間たちからも、いろんなことを教えてもらっています。

仲間には、大学生、現役世代、シニア世代など、様々な人たちがいます。

世代で人をどこまでくくれるのかは分かりませんが、私が見る限り、大学生(つまり現代の若い人たち)は、「人のためになることをしたい」「人を助けたい」という発想が自然に出るみたいですね。

私たちが若かった時代はバブルの前後です。ある意味「ふざけた時代」で、「拝金主義的な気持ちも強かった時代」だったのではないかと思います。

現代の若い仲間たちは、「気合を入れて、ボランティアに取り組む」という感じではなく、「いい意味で自然な感じで取り組んでいる」というか…。

これは本当にすごいと思います。

今の時代には、私たちの時代とは違う大変さがあることはわかっています。そんな時代の中で、若い人たちにそういう気持ちがあるのは希望だなと思いますし、とても参考になります。

現役世代とは、「ふだんは会社勤めなどを行いながら、キズキの公民連携事業に参加している人たち」のことです。そうした人も増えています。

シニア世代は、私と同じような年齢(60代以上)です。「働くこと」がひと段落ついたこともあって、ボランティア精神で参加している方も多いようですね。

商社でバリバリ働いて外国とやりとりしていた元管理職の人が子どもに英語を教えていたりするのを見ると、「英語という意味でも悩み相談という意味でも、この人に教わることができるのは、子どもにとってすごく価値があるな」と思います。


■「安心感や希望を持ってもらえる場所」をどうやって作るかを考える

「安心感や希望を持ってもらえる場所」をどうやって作るかを考える

世間では、多かれ少なかれ「親は子どもの面倒を見て当然」みたいなことが思われている部分があると思います。

ですがその考えは、「厳しい環境にある家庭」にとっては、貧困の連鎖につながることもあります。

自分が参加している活動では、さまざまな「厳しい状況」にあり、自信をなくしている子どもも多いです。

家庭が勉強に不向きな状況だったり、ヤングケアラー的な状況だったりすることもあります。

そうした子どもたちに、いかに「安心感や希望を持ってもらえる場所」を作ることができるかどうかを、常に考えています。

「大人たちは、あなたのことを真剣に考えている」ということを、私たちが伝えることができたらなと思います


■子どもたちと接するため、「現代の基準や感覚」を常に学び続けている

子どもたちと接するため、「現代の基準や感覚」を常に学び続けている

教える相手が中学生だと、私とは年齢が50歳くらい違います。

そうした人たちと関わるためには、自分も成長しなくてはいけないなと常に思っています

自分が子どもだった時代と一番違うのは、「人権感覚的なもの」かもしれません。今の子どもたちは鋭いですね。例えばルッキズムなどについてです。

もちろん、「子どもたちをルックスでからかってよい」などとは最初から思っていません。

ですが、「自分が若かった時代では、これくらいはからかいとは言えず、OKの範囲だった」という基準は、現代では通用しないでしょう。

「現代の基準や感覚」を常に学び続けているつもりです

次に参考になるのは、今の子どもたちの「素直に助け合う姿」です。簡単な例で言うと「宿題が終わった子が、終わっていない子を手伝う」などがあります。

私たちが子どもだったとき、周りの子どもとは「友情もありつつ、競争相手でもある」という関係でしたので、そうした光景はあまり見かけませんでした。

私もそうありたいなと思える姿です。


■私たち大人の責任は、一人ひとりの子どもをしっかり見ていくこと

私たちは「逃げ切り世代」などとも言われているように、金銭的な意味では恵まれている世代なのかもしれません。ですが、全員が全員恵まれているわけではないでしょう。

また、人口が多い世代ですので、若い頃は「ライバルが多い中、なんとかやっていかなくてはいけない」という思いもありました。

つまり、「いつの時代がよかったか」などは、人によって状況によって、簡単には断言できないものなのだと思います。

そして、価値観が多様化する現代の子どもたちは、私たちの世代と比べると、「恵まれていること」も「大変なこと」も、異なる部分が多いです。

常に移り変わる時代の中で、私たち大人の責任は、一人ひとりの子どもをしっかり見ていくことなのかなと思います


■業務内容:「公民館などで行う、教室型の『生活困窮などの、困難な環境にある中学生・高校生』の学習支援」とは

業務内容:「公民館などで行う、教室型の『生活困窮などの、困難な環境にある中学生・高校生』の学習支援」とは

現在は、公民連携事業の3つの活動に関わっています。

その中でも、「公民館などで行う、教室型の『生活困窮などの、困難な環境にある中学生・高校生』の学習支援」について紹介します。

「支援員」「現場責任者」という職種があり、どちらもアルバイトまたはボランティアで担当可能です。

どちらの職種も、子どもたちを「指導する」というよりも、いい意味でフラットな関係です。

支援員の仕事

まずは支援員の仕事です。

中学生には、直接的に勉強のサポートをしています。講師2名に対して1〜2名の中学生に勉強を教えるスタイルです。

教材は、キズキが一通り用意しています。

決まったカリキュラムはなく、個別の中学生の状況に合わせて教材や授業内容は柔軟に変更しています。

宿題のサポートもしますし、小学校レベルの教材を利用することもありますし、いわゆる「教科書ガイド」のようなものを使うときもあります。

また、自宅などでも勉強できるように、自習向きの教材を薦めることもあります。

高校受験の相談も受けています。相談を受けた際には、「こういう高校があるよ」という学校情報を提供したり、過去問を解いたりというサポートを行っています。

高校生については、「勉強を教える場所」というよりも「居場所」としての機能が大きいです

中学時代からこの活動を利用していた人が、高校生になってからは「自ら宿題を行う場所」として利用したりもしますね。その場合は勉強のサポートもします。

高校転校を検討している人や高校中退をした人とは、「次、どうする」みたいな話もします。

現場責任者の仕事

続いて、現場責任者としての仕事です。下記のような業務を行います。

①子どもたちの状況について急ぎの話があったときに、キズキ社員を通じて役所と連携します。現場責任者の一番大きな役割はこれかもしれません。委託者である自治体や関係機関は、報告に対して細かく対応してくれています。

②支援員よりも早めに会場に行きます。その日に来る子どもと支援員の割り振りをホワイトボードに書いて、みんなの到着を待ちます。来た子どもたち全員に挨拶して、支援員と事前のミーティングをして、授業開始です。

③授業中は、事務業務、会場を回って全体の様子の確認、来るはずだったのに来ていない子どもの家庭への連絡、教材の点検などを行います。支援員と子どもの勉強に混ざることもあります。


■若い頃の抑うつ経験、友人の引きこもり経験などから、公民連携事業に応募

若い頃の抑うつ経験、友人の引きこもり経験などから、公民連携事業に応募

改めて、私がキズキの公民連携事業に携わることになった経緯をお伝えします。

今思えばなんですが、自分自身、17歳くらいからしばらくの間、抑鬱状態(気分の落ち込みがあったり憂鬱だったりする状態)が続いていたんだと思います。

ただ、最初のうちにはそういう認識がなく、自分だけで苦しんでいました。

そして、大学2年のときには不安神経症の診断を受けました。強烈な不安感がある中、留年と休学を経て、最終的には大学を卒業することができました(現在はなんともありません)。

大学卒業後は、予備校の講師などとして働いた後に、新聞社に入社。定年退職まで勤めました。

新聞社勤務とはいえ、記者職ではなかったので全国転勤はなく、東京と埼玉でずっと過ごしています。

会社勤めの最後の1年半は、妻の両親と自身の九州在住の両親の、両方の介護が必要な状態でした。介護のための休職を取得し、結局復帰することがなく定年に至ります。

新聞社勤務の時代から、「この仕事が終わったら、教育や不登校に関するサポートを行いたい」と決めていました。

自分自身の学生時代のことを思い出したり、友人が引きこもりに関する悩みを持っていたりしたことがきっかけですね。

そして、ある塾で講師を始めました。その塾は、悪いところではないのですが、「自分が思っていた『サポート』とはちょっと違うかな…」とは思いました。

そんな中、キズキ共育塾を見つけたんです。

面接に行った池袋校は、雰囲気もスタッフの皆さんの人柄もよかったので、「この人たちとなら、一緒に『サポート』がやれそうだ」と思い、キズキ共育塾のアルバイト講師になりました。

そして池袋校で働いているうちに、キズキのスタッフから声をかけられて、公民連携事業に携わるようになったのです。

結果として、現在はキズキ共育塾の講師は行っておらず、公民連携事業で複数の案件に関わっています。

キズキ共育塾でも公民連携事業でも、子どもたちの大変な思いや状況のことが「わかった」…とまで言うとおこがましいかもしれません。ですが、少なくとも以前の私よりは理解が深まっています。


■キズキの求人を見つけた方はラッキーです

キズキの求人を見つけた方はラッキーです

私同様に定年退職後の友人たちは、やはり私同様に新たな仕事を行っていることも珍しくありません。

そんな友人たちと、公民連携事業の活動について、話せる範囲で話すことがあります。

すると、「もっと早く知っていれば、今の仕事じゃなくてそっちに応募したのに」などと言われることがあるのです。

私の友人に限らず、「知ってさえいれば、キズキの公民連携事業に応募した」という人は多いと思います。

キズキも様々な方法で求人を行っていますが、情報が届いていない人はまだまだいるようですね。

ですので、このページに辿り着いたあなたはラッキーです(笑)。

世代を問わず、ぜひ参加していただければと思います。

リタイア世代について言えば、現役時代とは違う、新たなやりがいを見出すことができると思います。