東工大から大手金融企業に就職するも、3ヶ月で退職……3年に及ぶひきこもり生活からの復帰
順調かに見えた少年時代から、徐々に歯車が狂っていった思春期。抱えていた問題が社会人になってから露呈し、ひきこもりになってしまう。立ち直れたのは、人との出会いがきっかけだった。
活発だった少年時代
小学生のときはよく遊ぶ少年でした。
友人宅にゲームをしに行ったり、校庭でバスケをしたり、家のそばにある森に分け入って秘密基地を作ったり。
とにかくじっとしているのが苦手で、落ち着いて家にいることはほとんどなかったですね。
勉強もスポーツもそれなりにできるタイプで、今思えば小学生のときが人生のピークだったかもしれません。
冷めていた思春期。将来の夢は「サラリーマン」
外から見れば順調な子供時代を過ごしていたのですが、心の内では不満を抱えていました。
親が変わり者ということもあり、世間一般とは大分ずれた価値観の家庭の中で育ちました。
文明社会を嫌い、避け、孤立しているような家庭でした。
友人宅には必ずあるような家電がなかったり、もったいないからという理由でお古ばかり着させられたり。
誰もが持っているゲームを自分だけ買ってもらえず、友人の輪に入れないということも多々ありました。
また、休日に家族で遊びに行くなんてことは皆無に等しかったですね。
そんな環境が大きなストレスだったのです。
楽しさとか面白さとか、そういった人間として自然な欲求を抑圧するような親だったので、まるで檻に入れられているかのような窮屈さを覚えていました。
なぜ自分の家だけ周りとこんなにも違うのだろう…。
もっと普通の家に生まれたかった…。
そんな不満が心の奥に蓄積していきました。
それでも自分は、勉強・スポーツ・友人関係でうまくいっている面もあったので、この部分だけは我慢すべきなのか、なんて子供ながらに思っていました。
窮屈で頑固な親の価値観に合わせることを覚え、「あれがほしい」「これがしたい」という自分の本当の気持ちを言えない子供になっていきました。
近所の人や学校の先生から見れば、きちんとあいさつする手のかからない優等生…。
子供心を抑え、無理矢理「いい子」を演じるということでしか、自分を保つことができなかったのです。
小学校高学年になるとさらに悪いことが重なりました。
親との衝突がきっかけで友人と遊ぶ機会が激減し、周りと距離をとるようになってしまったのです。
そのときからますます親を信用できなくなり、自分の心を押し殺して生きるようになりました。
校庭で子供らしく遊んでいる同級生たちを教室の窓から眺めては、「なぜみんなあんなに楽しそうに笑えるのだろう」と思ったりしていました。
今でも覚えているのですが、小学校の卒業文集に書いた将来の夢は「サラリーマンになること」。
人生に希望なんてない。
ただ無難に生きていくしかないものなのだと、子供ながらに思っていました。
そんな形で思春期に入り、中学・高校時代も表面的には勉学や部活に励む特に問題のない生徒として過ごしていました。
ただ、ここでも内側ではどこか鬱屈したものがあって、心の底から笑えることはなかったですね。
人生に対して冷めきっていて、ただルーチンワークのように日々をやり過ごし、思春期ならではの冒険もほとんどしませんでした。
まるで心を失った機械のようでした。
代わりに自分の支えとなっていたのは、目の前にあることを盲目的にがんばることでした。
テストでいい点を取る。
テニス部のレギュラーになる。
そういったことを目標に努力して、楽しくない日々を埋めようとしていました。
それでも、思うような結果が出せないと、「ダメな人間だ」と自分を責めていました。
そうして余裕のない、遊びのない、自己肯定感の低い人間になっていきました。
大学生のときはもう半ば自暴自棄になっていましたね。
勉学は留年しない程度に、サークルはバンドをやっていましたが、精力的に活動できていたわけではありません。
心を抑えて生きる癖が抜けず、頭の中は何もかもどうでもいいという気持ちでいっぱい。
太宰治の『人間失格』を読んでは、「これは自分だ…」などと思っていました…笑。
社会人になってからひきこもり。絶望感…
理系だったこともあり、惰性で大学院まで進み、特に目的意識も明確にしないまま金融業界の会社に就職しました。
が、すぐに体調を崩してひきこもりに。
今思えば、心に問題を抱えたまま社会人になってしまったわけですから、当然といえば当然です。
大きな環境の変化がきっかけで、少年時代から溜めこんでいた心の膿が一気に噴きだしてしまったのだと思います。
勤務中に冷や汗をかいたり、人の話が理解できなくなったりしました。
朝起きると吐き気が止まらなくなったり、視界にもやがかかって文字が読めなくなったこともあります。
もう無理だ…。
辞めたらどうなるかなど考える余裕もなく、全てを投げ出さざるを得ませんでした。
会社を辞めてから初めの3か月くらいはほとんど寝たきりの状態でした。
常に熱があるかのように気分が悪く、ただ起きていることさえ辛かったです。
その時期に具体的にどのように過ごしていたかは正直あまり思い出すことができません。
覚えていないくらいギリギリの精神状態だったということは確かです。
横になったままテレビでロンドンオリンピックのセレモニーを茫然自失の状態で眺めていたことだけは憶えています。
蝉の声が鳴り響く真夏日の中、完全に抜け殻のようになっていました。
半年ほど経ちある程度体調が戻ってからも、なかなか前向きにはなれませんでした。
家庭ではわがままを言わず我慢し、学校では楽しめないなりに努力してきた自分が、なぜこんな状況に陥ってしまったのか。
この理不尽な現実はなんなのだろう。
もう何をやっても無駄だ。
そんな無力感に苛まれていました。
友人たちが順調に人生のステップを歩んでいるのを見るのが辛く、Facebookのアカウントを削除したりしました。
悲惨な状況を知られたくないと思い、飲み会の誘いを嘘ついて断ったこともあります。
そんなひきこもりの生活は、大した変化もなく1年2年と過ぎていきました。
夜目覚ましを設定する必要のない辛さ。
朝起きて行くべきところのない辛さ。
外に出たくても出られない辛さ。
あれはもう地獄でしたね。
自分を変えてくれたのは人との出会い
しばらくは諦めの気持ちに支配されながらも、ちょっとした気持ちの変化がありました。
そして、かすかすぎる期待を抱きながら、臨床心理士にカウンセリングをお願いすることにしました。
人に頼ることが苦手だった自分は、それまでは自分の力でなんとかしようと思っていたのですが、完全に煮詰まってしまい、これはもう専門家の力を借りるしかないと決断したのです。
20代も後半にさしかかっていた自分が、家庭の不満を人に相談するなどただの甘えなのではないかと思いながらも、もう後はないという気持ちで思いの丈をぶつけてみました。
話し始めて5分くらいしてから、その臨床心理士の方には自分の悩みが通じているということに気づきました。
自分の心の不調はやはり家庭でのストレスが一つの原因だったのですが、その様相を的確に捉えてもらえました。
少し話しただけで自分を取り巻く状況を瞬時に理解してくれ、「なるほど。つまりこういうことですね?」「今までよくグレずに頑張ってきましたね」と言われたのです。
その瞬間の安堵感は今でも忘れることができません。
誰にも気づいてもらえずに一人で抱えていた悩みを、ありのままに理解してくれる人がいる…。
その事実は自分にとって、大げさでもなんでもなく天地がひっくり返るような出来事でした。
その日から身が軽くなったような思いでした。
ずっと胸の奥に巣食っていたどす黒いもやもやが晴れ、人生に対して少しずつ前向きに考えられるようになっていったのです。
カウンセリングからの帰り道、それまでは荒んで灰色に見えていた電車の窓からの景色が、少しだけ眩しく色鮮やかに見えました。
キズキへ
カウンセリングで「ただ理解してもらった」という事実がなぜこのような気持ちの変化につながったのかは、正直自分でもよくわかりません。
ただ、ありのままの気持ちを理解され精神的な安心感を得るということが、人間が前向きに生きるために必要な条件なのかもしれません。
自分がキズキで働きたいと思ったのは、そんな心の変化を経験したからです。
自分もドツボにはまってしまった人を救い出せるような仕事ができないかと思いました。
もしあの日、自分が勇気を出してカウンセリングに行かなかったとしたら、自分はまだ部屋に閉じこもっていたかもしれません。
人は人と交わることで初めて変わっていけるのかもしれない。
そんなことを思いながら、日々キズキの生徒さんと向き合っています。
講師応募者へのメッセージ
キズキには自分のように社会人になってから挫折を経験した人、学生時代に不登校やひきこもりを経験した人など、少し変わった経歴を持った人がたくさん集まっています。
悲しみや笑顔やぬくもりに溢れている、ちょっと他では見られない不思議で魅力的な場です。
それぞれが持ち寄った挫折体験がキズキの原動力となり、多くの生徒さんのやり直しをサポートしています。
また、キズキは挫折経験を個々人の問題としてではなく、社会的な問題として捉えている組織です。
もちろん、やっていることは生徒一人一人に向き合うことなのですが、最終的に目標にしていることはあくまでも挫折してもやり直せる社会をつくるということです。
塾だけでなく、中退予防や就労支援を軸にした事業も展開しており、社会的に困難な状況に陥ってしまった人やその手前の人々を支援する仕組みをつくっていくことを目指しています。
そのような大きな視点の中で支援活動に携われるというのがキズキの職場としての魅力です。
「自分もこんなマイナス体験をした」という方、その経験をキズキの活動に活かしてみませんか。