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いじめ、アトピー、うつ病…度重なる苦難を経て、「僕だからこそできること」に出会う


半村進
東京大学文学部歴史文化学科卒業
世界史, 英語, 国語

幼いころからアトピーやいじめなど様々な苦難を経験する。猛勉強の末に東京大学に進学するも、うつ病や眼病を患うなど、暗澹とした状況が続く。持ち前の知的好奇心を糧にTOEIC満点・国連英検特A級を取得するも、前途は依然として暗い。そんな中、ある出会いにより「僕だからこそできること」に気づく。

逆境のなかで、コンプレックスを抑えられずにいた少年期


幼いころから、アトピーによって荒れた肌や、ボロボロになってしまう歯など、多くのコンプレックスを抱えていました。

おまけに、親に転勤が多く、僕自身も転校を繰り返していたことから、なかなか周囲に馴染むことができず、いじめの対象になってしまうこともありました。

一方で、知的好奇心は旺盛だったんです。

1,000ページを超える長大な小説を夢中で読んだり、天文学の本にかじりついたり、科学者になりたいという夢を持っていました。

高校生時代の半村
高校生時代の半村

ところが、ときにはそれさえもが問題の火種になることも。

身につけた知識を人に話すのが好きだったのですが、相手がそれを聞きたがっているかを当時は考慮できていなかったんですね。

自分の好きなように語りまくった結果、友達に距離を置かれてしまうこともありました。

こうした境遇の中で、どうしても、普通の人を羨ましいと思う気持ちを抑えられずにいた少年期。

自分に自信を持てずに過ごしていました。

外見へのコンプレックスが強まるなか、東大受験を決意


中学・高校ではアトピーが重症化して、とにかくひどい状態でした。

肌を隠したいという理由から夏でも半袖は着なかったくらいです。

外見に対するコンプレックスは深刻でしたね。

一方、勉強は比較的得意で、当初は地元の名古屋大学を志望していました。

しかしその後、父が「学生のうちに東京を見ておくのもいいんじゃないか」と勧めてくれたことも手伝い、思い切って志望校を東京大学に変更。

一生懸命、受験勉強に取り組みました。

私の勉強スタイルは我ながら変わったもので、本屋さんでの立ち読みを通じて学力を伸ばしていました。

このやり方だと、閉店までにここまでやらなくてはいけないという切迫感があるので、集中して勉強に取り組めます。

また、それほど裕福な家ではなかったため、家計をできるだけ圧迫したくないという気持ちもありました。

勉強は大変でしたが、当時抱えていた病気との付き合いに比べれば、まだマシだったと思います。

アトピーで皮膚が痒くなってしまうと日常生活がかなり大変でしたので、それに対処するよりは、勉強の方はやりやすかったです。

加えて、先に述べたように知的好奇心は旺盛な体質なので、勉強そのものを楽しめていた面もありました。

猛勉強を重ねた末、なんとか東大に合格。

目標を達成できたわけですが、そのときの感想は「僕なんかが合格してしまった…」という弱気なもので、自信には繋がらなかったように思います。

完璧な友人たちに囲まれ、自信のなさに拍車がかかる


東大に入学したあとは、従来の自信のなさに拍車がかかりました。

というのも、周りの友人たちがあまりに完璧に思えたのです。

東大生というと勉強ばかりというイメージもあるかと思いますが、とんでもない。

運動や社交性の面でも高い能力を持つ人ばかりでした。

私はESS(英会話部)に所属していたので、他校のESS部員と交流する機会も多かったのですが、そんなときも、東大の同級生たちは彼らと楽しそうに社交していました。

一方私はというと、遠慮がちに会話に入るのが精いっぱい。

東大時代の半村
東大時代の半村

おまけに、英語力の方でも、部内で下から数えた方が早いような実力でした。

このような環境で、「自分は場違いなんじゃないか」という思いにじわじわとさいなまれるようになりました。

かつての自信のなさが再び込み上げてきたんですね。

東大入学という目標を果たしても、本当の意味で「自分に自信を持つ」ということができませんでした。

さらなる困難に直面。万事において「やれる」という気がしなくなる


しかも、その後大きな困難に直面することに。

もともと体が弱かったのですが、それに精神面での不調も加わり、うつ病を患うに至ったのです。

朝、起きるには起きるのですが、頭が働いている感じがあまりしない。

食べ物を食べても、味がわからない。

投薬治療を始めたのですが、大学に通うことは難しく、結果として留年することに。

おまけに、目の病気を発症したことで、右目の視力をほとんど失いました。

従来抱えていた「強いコンプレックス、そして自信のなさ」という自分の弱みに、重篤な病気が追い打ちをかけてくる。

人生が私に味方をしてくれる気がしない。

そうした感情の中に埋没して、私は万事において「自分はやれる」という気持ちを持てなくなりました。

療養生活の中で、TOEIC満点・国連英検特A級を取得


療養生活の中で、「このまま何もやらずに過ごしていては、ますます病んでいってしまうのではないか」と危機感を覚えました。

何か前向きに取り組めることを求めていたんですね。

結局、知的好奇心が相変わらず旺盛だったこともあり、語学の勉強に打ち込むことにしました。

勉強といっても、つまらない題材に無理して触れるのは嫌だったので、例えば中国経済のような、自分が興味を持つテーマの記事を積極的に読むようにしました。

あとは、ニュース番組をひたすらリスニングしたり。

自分なりに努力を続けた結果、目標としていたTOEIC満点と国連英検特A級を取得できました。

しかしながら、「これだけ時間をかければ他の人でもできたのでは…」という思いもあり、ここでも心の底から自信を持つことはできませんでした。

「僕だからこそできること」に出会う


大学はなんとか卒業できました。

しかし、それに要した年月は長期に渡り、周囲を見渡すと、自分がすっかり取り残されてしまったことを痛感しました。

働くことにも、どうにも自信が持てなかったんです。

ところが、ある日、一つの出会いが訪れました。

関心のあるテーマについてインターネットで調べものをしていた際に、キズキの代表である安田さんのブログ記事を見つけたのです。

バングラデシュに関する記事だったのですが、現地の生活のありのままの様子が描かれており、何か自分の胸に響くものがありました。

そこから安田さんについて調べていったところ、キズキ共育塾の存在を知るに至り、塾講師という仕事に興味を覚えました。

ところが、挫折経験を繰り返してきた私には「他人様にものを教えるなんて、自分にできるのか」という思いが頭をもたげ、どうしてもはじめの一歩が踏み出せない。

そんな私の背中を静かに押してくれたのが、「人生につまずいてきた僕にだからこそ、何か話せることがあるんじゃないか?」という一握りの思いでした。

調べてみると、キズキ共育塾では、不登校・ひきこもり・中退経験者など何かしらかの挫折経験を持つ人たちを対象に教育支援を行っているとのこと。

そこで、「挫折経験を多く味わってきた僕だからこそ、彼らの気持ちに寄り添うことで、力を貸していくことができるのではないか」「他の場所ではマイナスにしかならなかった自分の経験を、キズキ共育塾でなら、プラスの形で活かしていくことができるのではないか」と考えたのです。

自分の挫折経験に意義を見出す


実際に塾講師という仕事を始めてみると、存外自分に向いていることに気づきました。

自分が担当する生徒さんが「今の話、面白かったです」と言ってくれる。

人と目を合わすことができずひたすらうつむいていた子が、私の授業で笑顔を見せてくれる。

こうしたことの積み重ねで、小さな自信を持つことができるようになりました。

「自分の挫折経験を、生徒さんのために役立てたい」という思いは、かたちにできているように感じます。

今苦しんでいる生徒さんの気持ちがわかるからこそ、彼らが必要としている支援を届けられていると思います。

まず、年齢面で遅れている人の気持ちがわかる。

私自身、人よりも長い時間をかけて大学を卒業しているので、同じ年齢の人よりも遅れてしまってあせっている人の気持ちがよくわかるんです。

また、病気で苦労してきた経験から、「『普通の人ができること』ができない」ことへの悔しさもよく理解できます。

もちろん、しないにこしたことはない種類の苦労もありますが、自分の場合はしてしまった以上、それをプラスに変えられたことが嬉しいです。

自分の挫折経験にも意義はあったのだと思えるようになりました。

「同じ授業は2度とない」一人ひとりの生徒さんに最適な授業を追求


キズキ共育塾でとくにやりがいを感じる点は、生徒さん一人ひとりに合った授業を組み立てられることですね。

何も考えずに教科書や問題集の順番どおり進めるというのではなく、「この生徒さんならここから始めた方がいい」ということを常に模索しています。

例えば歴史の授業なら、その生徒さんが行ったことのある地域の歴史から始めたり。

美術が好きな生徒さんなら、展覧会の図録を一緒に見ることから始めることもありますね。

キズキでの授業風景
キズキでの授業風景

あとは、学習範囲をなるべく細かく分けて、生徒さんが達成感を得られやすいようにすることも心がけています。

例えば、受動態に関しては「まずはこの単語だけを覚えよう」と提案したり。

生徒さんのやる気が続くように工夫することを常に心がけています。

生徒さんが置かれている状況やご本人の個性が一人ひとり異なる以上、同じ授業は2度とないと私は考えています。

そして、そうした柔軟な取り組みが可能な場だからこそ、生徒さんにもプラスの変化をもたらすことができるのだと考えていますね。

「歴史、国際政治、建築、宇宙開発、アジア各国事情、行動経済学…」講師になった今でも、知的好奇心は旺盛です


繰り返し述べてきたように私は知的好奇心が旺盛な方なので、日ごろから様々な分野の書籍を読んでいます。

例を挙げると、歴史、国際政治、建築、宇宙開発、アジア各国事情、行動経済学など。

本を読むときも、「生徒さんが興味を持ちそうな話はあるかな」という視点を忘れないようにしています。

「この話、A君にすると喜んでくれそうだな」「Bさん、このテーマに興味あったな」と、例えそれがどんなに些細なことであっても、心に留めるようにしています。

その方が読書の楽しみも増しますし、記憶にも定着しやすいんです。

また、メインのトピックだけでなく、その関連分野まで興味の幅を広げていくこともよくありますね。

思い返せば、キズキ共育塾を知ったのも、専攻していた「中国の製造業」を調べていた際に、「中国から南アジアへ、そこからバングラデシュへ」と興味の幅を広げていったことがきっかけでした。

知的好奇心が旺盛であることは、私の特徴の大きな柱になっていると思います。

さいごに…


私の好きな言葉に、「挫折の原因は他人だが、立ち直る原因もまた他人である」というものがあります。

いうなれば、キズキ共育塾における「他人」――同僚講師やスタッフ、そしてもちろん生徒さん達――が、私が立ち直る「原因」になってくれたと思います。

これからは、私自身が他の誰かが立ち直る「原因」になれるよう、そしてその範囲を広げていけるよう、地に足をつけながら成長していきたいです。

この記事を読まれて少しでも興味を持った方は、ぜひキズキ共育塾を訪れてみてください。