慶應大学から就職した大手テレビ局でうつ病に。人生は何度でもやり直せると伝えたい

慶應大学から就職した大手テレビ局でうつ病に。人生は何度でもやり直せると伝えたい


深山修二【代々木校】
慶應義塾大学文学部卒業、法学部卒業
英語, 日本史, 世界史, 現代文, 古文, 漢文

深山修二(みやま・しゅうじ、仮名)。順風満帆な学生生活を送っていたが、公務員試験の失敗という初めての大きな挫折を味わう。その後、別の学部で学び直し、大手テレビ局へ就職。「一生安泰だ」と思っていたが、多忙からうつ病になる。そして学生時代に感じていたエリートコースに対する違和感に立ち返る。「もっとみんなが生きやすい社会にできないか」との思いから、大手テレビ局を辞め、キズキ共育塾で講師として働きはじめた。


順風満帆なエリートコース。かすかな違和感…

キズキ共育塾講師の深山修二です。

小学生のころは、勉強や習い事に励む活発な少年でした。友人も多く、楽しい毎日でしたね。

中学からは都内でも有数の中高一貫私立校へ。勉強でも人間関係でも特に問題のない中高時代を送っていました。

ただ、「いわゆるエリートコースにこのまま乗っていていいのだろうか」という思いが心のどこかにありました。

「何のために勉強しているのだろう…。」
「進路は大学受験でいいのかな…。」

親や親戚には手に職をつけて生きていくという人が多かったこともあり、目的意識もなくただ大学に進学することに少しだけ違和感を覚えていました。

それでも、特にやりたいことが見つからなかった自分は、結果的には大学進学を選びました。

「これでいいのだろうか…。」頭の片隅にそんな思いを抱えながらも、「有名私立校から有名大学へ」というコースを捨てるだけの勇気はありませんでした。

無意識にエリート意識が芽生えていたのかもしれません。


公務員試験に不合格、初めての大きな挫折

大学は現役で慶應義塾大学の文学部に合格。

勉強やサークル活動にそれなりに打ち込む、普通の大学生活を送っていました。

就職を考えなければならない時期になると、「結局自分は何がやりたいのか」というかねてからの疑問と再び向き合うことになりました。そして公務員を目指すことにしました。

父親も地方公務員でしたし、「このままレールに乗っていた方が一生安泰だ」という気持ちはあったと思います。

ところが、大学4年生のときに受けた公務員試験は全滅。

最後の合否の結果はちょうどゼミ合宿に向かう高速バスの中で確認しました。

はやる気持ちを抑えながら、スマホの画面が切り替わるのを待っていました。

そして目に飛び込んできたのはまさかの「不合格」。

あれっ…

頭の中は真っ白…。移りゆくはずの車窓の景色が、一瞬、止まった絵のように映りました。

その後のゼミは平気な顔でこなしながらも、心の内ではほとんど放心状態でした。

大きな挫折を経験したことのなかった自分にとって、就職活動の失敗は本当にショックな出来事でした。

大手企業の内定を獲得していた友人たちの背中が急に遠く見えました。

仲間の成功を喜べない自分が情けなかったです。

焦りと不安に支配され、2か月くらい立ち直れませんでした。

その後、同じく慶應義塾大学の法学部に編入学し、3年生からやり直しました。

2回目の就職活動では公務員試験だけでなく、一般企業も受けることにしました。そして大手テレビ局に就職。

このときも、自分のやりたいことというよりは、「周りから見てよい道」を選択することになりました。

「何であっても、一度外れてしまったレールに戻ることができた」、と当時は心底ホッとしたのです。

「これで友人たちからの遅れを取り戻せた。一生安泰だ。」

そんな気持ちで社会人になりましたが、またもや問題が…。


大手テレビ局でのプレッシャーからうつ病に

華やかだと思っていたマスコミの世界は、実際は泥くさく超多忙な日々。

締切に追われて、四六時中プレッシャーを感じざるをえませんでした。

同期や先輩と同じように仕事をこなせないことに自信をなくし、次第に余裕がなくなっていきました。

「自分は無能だ。」
「なぜ生きているのか。」
「消えてしまいたい。」
頭の中がグシャグシャになって、どうしていいかわからなくなりました。

そして入社1年目の暮れに、心身の疲労から、交通事故を起こしてしまいました。

病院へ行くと、事故による怪我は大したものではなかったのですが、心理的ダメージが大きく、その後の業務に支障をきたすようになりました。

そして、しばらくしてかかった精神科でうつ病と診断され、休職することになりました。

休職中は、昼に寝て夜起きるという生活。

何もする気になれず、独りソファに座り茫然としていました。

知人や職場の人間に会いたくなかったので、食事のための買い物は夜の10時とか。

フレームの太いメガネをかけ、マスクとマフラーで顔を半分覆ってはビクビクしながら外出していました。

外出に抵抗を感じる反面、家でジッとしているとたまらない閉塞感に襲われることもありました。

あるときはいてもたってもいられず、自転車で近くの海へ行きました。

深夜2時ごろ、堤防に座り、ただボーっとしていました。何も考えたくありませんでした。

すると、不意に警察官が通りかかって職務質問されました(笑)…

警察官「何やってんの?」
僕「ちょっと暇だったんで来ただけです。」
警察官「そっか。気をつけて帰りなよ。」
僕「はい。大丈夫です。」

去って行く警察官を見ながら、大丈夫ではない現実を思い出しました。
「俺は復帰できるんだろうか…。」
「復帰してどうするんだろうか…。」
答えを返してくれない夜の海をぼんやりと眺めながら、その闇と自分の行く先とが重なって見えました。


「何度でもやり直せる社会をつくる」ためにキズキ共育塾へ

数か月に渡る休職期間は、気分転換さえうまくいかない日々でした。

それでも時間が解決してくれたのか、少しずつ気力が戻り復職することができました。

「大企業からこぼれ落ちたら今までの苦労が台無しだ。」そんな思いで必死に働きました。

しかし、相変わらず仕事に追われる毎日…。次第に「自分は何をやっているのだろう」という気持ちが募っていきました。

「死ぬ思いをしてまで大企業で働くことに意味があるのだろうか。」
「ただ周りに評価されたいだけだろう。」
「自分はそんな人生をこれから何十年も歩んでいきたいのだろうか。」

学生時代から疑問を感じつつも手放せなかったエリート意識。その価値観と初めて真正面から向き合いました。

「確かに、大きいところに所属していた方が安心だ。周りからも評価してもらえる。でも、人間もっと自立して、自分の意思で道を選ぶべきものじゃないのか。」

怖さもありましたが、もう半分答えは出ていました。

「別の道を探そう。そして自分の思うように生きよう。周りは関係ない。見栄なんか張ったってしょうがない。」

それまで自分を縛り続けてきた「エリート意識」と訣別した瞬間でした。

しかれたレールから降りて自らの足で歩き始めたとき、それまでは狭い一本道に見えていた人生が、開けた平原のように思えました。

そうして人生に対する価値観が変わったとき、ふとキズキ共育塾が思い起こされました。

実はキズキ共育塾の存在は、仕事を辞める数年前から知っていました。

たまたま大学の後輩がキズキ共育塾で講師をしていて、Facebookでシェアしているのを見かけたからです。

「何度でもやり直せる社会をつくる」

キズキの理念に、自分の人生を思い、強く共感しました。

今では15人以上の生徒さんを担当しており、多くの出会いがあります。

生徒さんには少しでも人生に希望をもってもらいたくて、自分がこれまでの人生で学んできたこと・感じてきたことを伝えています。

逆に、生徒さんと接する中で、「人生には人それぞれいろいろなことがあるのだ」と教わることも多いです。

多様な人が集まり自由な雰囲気に包まれたキズキ共育塾に居心地のよさを感じながら、これまでの人生が一本の糸でつながったような気がしています。


悩んでいるあなたへ

人生はとても長く、私もまだ道半ばの身ですが、それなりにわかってきたことがあります。

それは、「悩みや苦しみの経験は無駄ではなく、人生の糧になる」ということです。

自分なりの人生を、満足して生きていくためにはどうすればいいか。

そんなことを、一緒に考えてみませんか?

あなただけで悩まずに、ぜひキズキ共育塾にご相談くださいね。きっと前向きな気持ちになれると思います。


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高坂浩一【代々木校】

慶應義塾大学文学部卒業、同大学院文学研究科博士課程修了

あなたの心に向き合いながら、勉強の楽しさを伝えたい

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