あなたの心に向き合いながら、勉強の楽しさを伝えたい

慶應義塾大学文学部卒業、同大学院文学研究科博士課程修了
担当科目:現代文、小論文、英語、世界史
1988年4月生まれ、東京都出身。2歳のときに台湾国籍から日本国籍に帰化した、台湾系日本人。複数の予備校や大学、家庭教師での指導実績を持つ。趣味は読書(幅広く何でも読むが、特に金融、哲学、言語、心理、文学の分野が好き)と株式取引。「勉強の楽しさを知ってもらい、一人ひとりの生徒さんの心と向き合いたい」という気持ちから、キズキ共育塾へ。
【目次】
「今の自分」に至るまでの3つのポイント
キズキ共育塾代々木校で、主に現代文と小論文を担当している高坂浩一(こうさか・こういち)です。
僕の両親は台湾人です。僕は台湾系日本人としてずっと日本で育ち、一般的な日本人と同じように日本の教育を受け、大学院の博士課程を修了しました。
中国語を教えることもできるのですが、残念ながら、キズキ共育塾では「中国語を習いたい」という生徒さんにはまだ出会っていません。
さて、僕が「今の自分」に至るまでの経緯には、ポイントとなる時期が3つあります。
1つ目は、大学受験期です。
高校受験では第一志望に受からず、それまでたいして成功体験を積んできたわけでもなかったので、正直なところ、「自分なんか」が行きたい大学にいけるのか、非常に疑問でした。
結果的に、志望していた慶應義塾大学に合格できたときは本当に嬉しかったですし、「成功体験がいかに人の自己肯定感を高めるか」ということも実感しました。
2つ目は、就活期です。
後でも述べますが、「自分が何をやりたいのか」がわからないまま始めた就活は本当に辛かったです。
3つ目は、モラトリアム期(猶予期間期)です。
これも後で述べますが、「自分が何をやりたいのか」を見つけるために大学院に進み、この大学院生の間のモラトリアム期に、自分からいろいろ行動していって、やりたいことを見つけようと思いました。
就職活動での挫折——自分がやりたいことがわからない
過去に体験した最も大きな挫折は、大学生時代に行った就職活動です。
そもそも僕が大学進学の際に文学部を選んだ理由は、「高校では英語がよくできたから、英文科がいいのかなあ」くらいの、「なんとなくの気持ち」でした。
それで、大学2年生に進級するとき、英米文学専攻を選びました。
ただ、大学でたくさんの講義を受けていくうちに、「やっぱり自分はそもそも英語自体が特に好きではない」「とは言え、他にやりたいこともわからない」と気づくことになりました。
そして自分が何をやりたいのか全くわからないまま、大学3年生のときに就職活動を始めました。
就活を行う中で、「一体自分は何をやっているんだろう」と虚しくなっていったことを鮮明に記憶しています。
面接では、パスすることを目標にして答えを作りましたが、面接が終わってから振り返ってみると、「心にもないことを答えて、何だかばかばかしいな」と思ったのです。
そういう気持ちが積み重なって、就職活動をやめてしまいました。
親世代の方々からは「仕事は自分の興味や向き不向きに基づいてやるのではない、就いた仕事をきちんとできるように一生懸命努力するのがあるべき姿だ」という意見をよくもらいましたが、僕は必ずしもそうは思いませんでした。
もちろん、彼らの言うことにも一理あるとは思います。
しかし僕自身としては、就活時の面接を思い出すたびに、「あんな虚しい思いをするぐらいだったら、就職なんてしない方がマシだ」とさえ思っていました。
そして、世間的には不純な動機ではありますが、「自分が本当にしたいことは何か、もっと探したい」という気持ちから、モラトリアム(猶予期間)を設けるために大学院に進学しました。
家庭教師の経験から「自分のやりたいこと」を見つける
大学院在籍中に、知り合いの紹介で家庭教師を始めました。
その後も志望校に合格した生徒さんの親御さんからの紹介で、何人もの生徒さんを教えました。
その中で、一番印象的だった生徒さんについて紹介します。
彼に教え始めたのは、彼が大学受験を1年後に控えたころでした。
当初は何の問題もなかったのですが、教え始めてから1か月が経ったころ、彼のお母さんが交通事故で亡くなったのです。
お母さんっ子だった彼は鬱状態になり、もちろん授業も受けられませんでした。
僕は、授業ができなくても、授業が設定されている日には家に伺いました。
最初のうち、彼は部屋に引きこもり、僕に会おうとはしませんでしたが、1か月が経ったあたりから、部屋に入れてくれるようになりました。
ただ、彼は自分から何か話したいという様子ではなかったため、僕は、自分が以前に亡くした親友や恋人の話を独りごとのように話しました。
近しい人を亡くしたときの気持ちは、僕もよくわかっていました。
そのようにして、徐々に彼が精神的に回復していく中で、彼との信頼関係を作っていけたような気がします。
その後、授業を再開できるようになり、最終的に、彼は第一志望である学習院大学に合格することができました。
僕も、本当に泣いてしまうほど嬉しかったです。
この経験から、僕は、「勉強の楽しさを知ってもらうこと」と「人の心に向き合うこと」の両方ができる仕事はないかと考えるようになりました。
この時点で、僕は挫折を克服しました。「やりたいこと」が明確になったからです。
勉強以外の面でも、「一人ひとりの人間」として生徒さんと接するように
話が前後しますが、僕は大学1年生のころから、ある予備校で国語(日本語と小論文)の講師を務めていました。
その予備校は、中国人・台湾人留学生向けの大学進学予備校という、一般の予備校とは異なるちょっと特殊な予備校です。
僕はずっと、この予備校ではただ淡々と勉強を教えていました。
「勉強を教える(=生徒さんの学力が伸びる)」という意味ではやりがいがありましたが、逆に言うと、やりがいはそれだけでした。
生徒さんのことは、「勉強を教える対象の集団」としてのみ見てました。
ですが、先ほど述べた家庭教師での経験をした後では、生徒さんに対する意識が大きく変わりました。
(当たり前なのですが)人にはみんな一人ひとり、悩みや考え事があるものです。
勉強面だけでなく、そういった一人ひとりの人間としての生徒さんに関わっていけないか、と考えるようになったわけです。
そう考えるようになってから、僕は、休み時間などの授業以外の時間で、生徒さんが今どのようなことに悩んでいるのか、どのようなことを考えて日々過ごしているのかを、雑談の延長で聞くようになりました。
すると(やはり当たり前なのですが)、彼らも僕と同じように、本当にいろいろなことを考えていることがわかりました。
彼らの悩みについていろいろと話し合い、また僕の悩みも彼らに聞いてもらいました。
僕もそれによって救われることがよくありました。
実は自分が救われたかったのかもしれません。
今では、生徒さんを「教える対象」としてしか見ていなかった自分を恥ずかしいと思っています。
同時に、このような経験から、「勉強だけでなく、その人自身と向き合えるような仕事」をしていきたいとますます思うようになりました。
そして、まさに勉強とメンタルの両方から生徒さんを支援しているキズキ共育塾を見つけ、働き始めたのです。
キズキ共育塾のよいところ―多くの講師が「挫折」を経験していること
キズキ共育塾の最もよいところは、やはり講師の多くが何らかの挫折を経験しているところだと思います。
人は、自分自身が何らかの挫折をして苦しみを経験していると、同じように苦しみを経験している人にやさしくなれるものだと思います。
自然と相手の心の痛みを自分も感じ、「なんとかしたい」という気持ちになります。
キズキ共育塾の講師は、子どものいる主婦や会社経営者、会社に縛られないフリーランスなど、本当に多種多様です。
いろいろな人がいる分だけ、いろいろな苦しみの経験がキズキ共育塾にはあると思います。
そしてその苦しみの分だけのやさしさに触れることができるところが、キズキ共育塾なのだと思います。
あなたにピッタリの先生も、きっと見つかります。
「自分を救うための行動」の選択肢を増やしたり、考え方を変えたりしましょう
人間は、何かつらいことや悲しいことがあったときに、苦しみを覚えます。
そしてその苦しみをなんとかするために、運動をしたり、読書をしたり、過眠をしたり、過食をしたり、果てはリストカットなどの自傷行為をしたりします。
運動や読書と比べると、過食や自傷行為などは一般的にはネガティブな行為と考えられます。
ですが、本人としては「苦しみを何とかしたい、自分を救いたい」と思っての行動なので、必ずしも否定されるべき行為ではないと僕は考えます。
とは言え、過食や自傷行為などは、究極的には命に関わります。
「必ずしも否定されるべきではない」のですが、「積極的な肯定もできない」と思います。
ではどうすればよいでしょうか。
そうした行動については、僕は、本人が「自分自身を救うために過食や自傷行為をしているのだ」と自覚することがまずは何よりも大事だと思っています。
そうすることで、自らの弱さを客観的に見ることができた上で、別の選択肢を考える心の余裕も生まれ得るからです。
ただ、自分一人だけでそこまでたどり着くのはなかなか難しいと思います。
やはり周りの人が心から本人に向き合う必要があると思うのです。
もしあなたが過食や自傷行為をして罪悪感を覚えたり、苦しみを覚えたりしているようなら、その苦しみをなくすためにはどうすればよいのか、一緒に考えましょう。
例えば、自分を救うための行動について、選択肢を増やせば臨機応変に対処できるようになりますし、あるいは、考え方を変えると(健康や命に関わらない種類であれば)ネガティブな行動を選択しても苦しくならないかもしれません。
僕の例で言うと、何か辛いことがあると、過眠することが増えます。
要するに寝過ぎるという「ネガティブな行動」です。
以前は、寝過ぎると、起きたときにとても罪悪感を覚えました。
しかし今は、「自分を救うために寝ているのだから、むしろよいことなんだ」くらいに思っています。
このように考えるようになっただけで、精神的にとても楽になり、以前より立ち直りもはやくなりました。
人を愛することの難しさ
少し話が変わりますが、僕がキズキ共育塾で担当した生徒さんで、ご両親との確執が激しかった人がいます。
彼には行きたい大学がありましたが、ご両親は「そこよりも偏差値の高いところじゃないと受けさせない」と言い、意見がぶつかっていました。
親との確執は僕も経験しているので、その状況に関する彼の気持ちはすごくよくわかりました。
一方で、ご両親の気持ちもわかるような気がします。
僕はまだ親にはなったことはありませんが、人は、自分の大事な人の行動を制限することがよくあるからです。
しかも、自分自身の行動は大目に見るくせに、です。
例えば僕の親は、僕には「健康に悪いからお酒を飲むな」と言うくせに、自分は健康に悪いタバコを吸っています。
ただ、同じように僕も、自分がどこか治安の悪い国に行くのはいいけれど、もし弟が「治安の悪い国に行く」と言い出したら、まずは反対します。
心配だからです。
自分の目の届かないところに行くのはこわいからです。
このように、理屈ではなく、親には親なりの考えがあるかもしれません。
彼の場合も、ご両親は「彼のためを思って」高い偏差値の大学を受けさせようとしていたのかもしれません。
人を愛するということは、難しいことだと思います。
「自分の思いと相手への愛が、お互いに独りよがりにならないようにするにはどうすればいいだろうか」ということも、キズキ共育塾で生徒さんと話しながら、改めて考えています。
悩み苦しんでいるあなたへ

僕は、身体醜形障害という精神障害を抱えています。
この障害は、自分の外見の全体、あるいは一部分をひどく醜いと思い、心の状態がひどいときには外出できなくなる精神障害です。
僕もひどいときはひきこもってしまい、鬱鬱としていたことがあります。
でも今は、先の例と同じように、これも「自分を救うためにひきこもっているのだから、基本的にはよいことだ」と思っています。そう思うとやはり心が楽になるのです。
そして、心の状態がひどいときでも、マスクをしたり帽子をかぶったりすれば外出できることに気づき、そのように「自分の障害(弱さ)とうまく付き合っていくことが大事なのだ」ということもわかりました。
悩みや苦しみを覚えたり、自分の弱さを認識したりしたとき、どうすればそれとうまく付き合っていけるのかを「研究」することは、尊いことだと思います。
もしあなたが、悩みや苦しみを持ち、何とかしたいと思っているのなら、それとうまく付き合っていくにはどうすればよいか、キズキ共育塾で、授業(勉強と雑談)を通じて一緒に「研究」していきませんか?
あなただけで悩まずに、ぜひキズキ共育塾にご相談ください。
保護者さまへ
保護者さまには、例えばもしお子さまが学校で何かあって不登校やひきこもりになったり、「学校をやめたい」と言っていたりしていたとしても、まずはそれを否定せずに、正面から向き合ってほしいと思います。
難しい問題だとは思いますが、お子さまは、そうしないと自分を救えないからその選択をしているのだと思います。
お子さまご本人が、誰よりも自分を救いたいと思っているはずです。
とは言え、「子どもにどう接すればよいのかわからない」という方も大勢いらっしゃると思います。
キズキ共育塾は、保護者さまだけでのご相談もお受けしていますので、お気軽にご相談ください。
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