シリーズコンプレックス:文学は飢えた子を前に何ができるか

シリーズコンプレックス:文学は飢えた子を前に何ができるか

2017年7月4日 火曜日 投稿

シリーズコンプレックス:文学は飢えた子を前に何ができるか

「役に立たない」文学の勉強にコンプレックスがあった

キズキ共育塾スタッフの村田綾香です。

私は大学で日本文学を専攻し、現在は大学院でより専門的に日本文学を勉強をしています。

今の私は「日本文学を勉強すること」を肯定的に受け入れているのですが、以前はとてもコンプレックスを抱いていました。

原因は、大学受験の際も、大学に入学してからも、周りの人たちから何度も何度も「文学を勉強して、何の役に立つの?」と言われ続けたことでした。

そう言われたときの私は、「何かの役に立つために文学があるわけじゃない」と、もっともらしい言葉を返していました。

でもこれは強がりで、強がるしかできない自分を歯がゆく思っていました。

「何かの役に立つ」ことばかりが重要だと思っていたわけじゃないのは本心です。

それでも、「なぜ文学を追究するのか」をきちんと答えられない点において、不甲斐なさがありました。


サルトルの問いかけをきっかけに、自分を認められるようになった

当時の私がきちんと答えることができなかったのは、「私ごときの文学的水準では、何かができるわけがない」と思っていたからだと思います。

つまり、ただでさえ「役に立たない」と思われている文学の勉強しかできない私は、その文学の勉強も「できるという程でもない」と卑屈になっていたのです。

そんな自分のことを、無価値だと考えていました。

しかし私は、有名な文学・哲学者のサルトルが出した問いかけをきっかけに、現状の自分を認め、その現状で勝負する勇気を持てるようになりました。

その問いとは、「文学は飢えた子を前に何ができるか」というものでした。

当然、実際に目の前で飢えている子に対し、文学が与えられるものは何もありません。

サルトル自身、だから「文学は無力だ」と言いました。

しかし、だからと言ってサルトルは文学を追究する意味がないと思っていたわけではないと思います。

少なくとも、私はそう考えています。

飢えた子に対するはたらきかけとして、食べ物を分け与えれば、その目の前の子は一時的に生き延びられるかも知れません。

だとすれば、ペンを握っているより、パンを与える活動をした方が、役に立つと言えるでしょう。

それでも、全ての飢えた人々にパンを与えることはできるでしょうか?
あるいは、それで世の中から飢えを撲滅することはできるでしょうか?

もちろんそんなことはできません。そうなれば「パンも無力」です。

同様に、どんな立場であろうと、全てを完璧に解決することは不可能なのです。

ですから、その不可能性を理解したうえで、自分にできる形で、価値が発揮できる場を模索し、最高のパフォーマンスを発揮することが大事なのではないでしょうか?

文学について言えば、「文学は、誰かの窮状を直接的に救うことができないものだ」というはかなさや頼りなさを自覚しながら、その上で「文学に何ができるか」を真剣に考えることが、文学を通して飢えた子に対峙する文学的実践だろうと思います。


私が「文学」を通してできることは?

私自身は、文学は「現実」を模索・追究する側面を持つものだと捉えています。

ですから、文学には「現実」の認識やあり方を変えていく力があると思っています。

今日書いたものが、今日の困難を解決し、明日を変えることは難しいかもしれませんが、10年後や100年後の社会のあり方を考える機会をつくることはできます。

これを、「そんなことしかできない」と思うのか、「そのできることに邁進しよう」と思うのかは大きな違いです。

今の私の文学的立場では、「風が吹けば桶屋が儲かる」の比ではなく、飢えた子の現実を変えていくまでの道のりは遠いでしょう。

それでも、もっと身近で、今ある「現実」に疑問や不満を持っている人たちに対し、はたらきかけることは可能だと思っています。このコラムも、その一つの方法です。

これが、私にとっての「今できることで勝負する」ということです。


答えはひとつだけじゃない、でも、自分なりの答えを持つことが大事

答えはひとつだけじゃない、でも、自分なりの答えを持つことが大事

もちろん、文学に対する考え方は、これが全てではありません。

「文学は無力だ」という言葉を文字通り受け取り、「ただ好きだから無力でも構わない」というスタンスを取ることもまた一つの答えです。

どんな答えでも構わないので、それが答えの一つに過ぎないことを理解した上で、なおかつきちんと自分の答えを提示していく勇気を持つことが大切です。

それは、今ある自分を受け入れることであり、誇大広告ではなく自分に自信を持つことでもあります。

あなたには、コンプレックスがありますか?もしあるなら、それは、自分や、自分の好きなことを認めることがなかなかできない、つまり「何の役に立たない」と考えているからではありませんか?

「何の役にも立たない」と悲観して自分の好きなことを卑下するのではなく、現状を正しく評価して受け止めていけるとよいのではないでしょうか。

そして自分の好きなことがたとえ周囲からの評価を得にくかったとしても、自分で認めることができれば辛くはなくなります。

演劇が好きな人、読書が好きな人、絵が好きな人…そういう人は、中学生や高校生の間は特に、少数派になりがちかもしれません。

スポーツが好きな人、勉強ができるようになりたい人、モテたい人…そういう人は、常に自分よりできる人に引け目を感じているかもしれません。

こういった「コンプレックス」の感情とうまく折り合いをつけ、あなたが穏やかな気持ちで過ごしていけるように願っています。

そうなればきっと、卑屈になっているよりもいろんなことに挑戦でき、充実した日々を送ることができるのではないでしょうか。

※文中の写真は、全てイメージです。


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