シリーズ勉強する意味:「勉強する」のは「よい」こと?「勉強する意味」って何…?

シリーズ勉強する意味:「勉強する」のは「よい」こと?「勉強する意味」って何…?

2017年5月10日 水曜日 投稿

シリーズ勉強する意味:「勉強する」のは「よい」こと?「勉強する意味」って何…?

こんにちは、キズキ共育塾スタッフの村田綾香です。私は以前、高校で教師として国語を教えていました。そのときのことも含めて、皆さんの学び直しを応援するコラムを書いています。

今回のテーマは、高校生と触れ合った中でも1、2を争う悩みである「勉強する意味」です。


「勉強する意味」に悩むあなたへ

高校では、生徒さんから「勉強する意味がわからない…」という声をよく耳にしていました。勉強する意味がわからないから勉強が嫌い、という人も多いでしょう。

けれど、勉強が好きではない人でも、きっと「勉強は、できないよりはできた方がよい」と思っているのではないでしょうか。

その理由はおそらく、「勉強ができた方が、よい高校・大学へ行ける、よい就職ができる」と、大人が言うからです。

でもあなたは、その理由に納得していないから、「勉強する意味がわからない」となってしまうのです。

そこで、勉強することが、本当に「よい」のか、意味があるのかについて、高校の教壇に立っていた経験を基にお話ししたいと思います。


“自分にとって”何が「よい」のかを判断するための勉強

高校生に「よい大学ってどんな大学?」と聞くと、ほとんどの人が偏差値や就職率の高さを基準にして答えます。

確かに、偏差値や就職率は一つの基準でしょう。

しかし、そういう大学にも、例えば馴染めずに中退してしまう人や、就職しないという選択をする人はいます。

「偏差値や就職率が高い大学」であっても、全ての人にとっての「よい大学」ではない、ということです。

つまり、大学に限らず、物事が「よいかどうか」は、一般論や人の意見をあてにせず、“自分にとって”「よいかどうか」を考えなくてはなりません。

「よい大学」や「よい人生」を見つけるためには“自分にとって”何が「よい」のかを考えなくてはならないのです。

そして、「よいかどうか」を判断するには、物事を比較できる知識があること、比較できる思考力があることが必要です。

その基本的な力を養うために、私たちは、日々勉強しているわけです。


思考力を鍛え、「発見」をするための勉強

とは言え、学校で教わる知識の中には、物事が「よいかどうか」を判断するためには直接役に立たないと思えることもあるでしょう。

古典の助動詞の活用なんて、大人になったらもう一生口にしない人がほとんどです。

では、そういう知識はなくてもよいか、というと、そうではありません。

覚えることに意味があるかどうかではなく、「覚える→使う→わかる」というプロセスによって思考力を鍛えることが第一に重要だと知ってほしいと思います。

そして第二に、「わかる」の先にある「発見」を、ぜひ知ってもらいたいのです。

私が高校で担任をしていた生徒さん(以下、A君)の話を例にお伝えします。


勉強以外にも応用できる、「わかる喜び」からの「効率のよい学習」

勉強以外にも応用できる、「わかる喜び」からの「効率のよい学習」

A君はサッカー部に所属し、部活動によく打ち込んでいる男の子でした。

一方で授業をおろそかにすることが多く、古典の文法・単語テストで落第ばかりしてしまいます。

そして、授業後に居残りで追試を受けることがよくありました。

その度にA君は、「こんな勉強したって意味ないし、早く部活に行きたい」と愚痴をこぼしては私に叱られていました。

文句はあっても、追試に合格しないと部活に行けないので、結局A君は必死になって覚えることを一年続けます。

そして一年が終わるころ、A君は、恥ずかしそうに私へ次のようなことを伝えてくれました。

「古文の勉強は覚えることがばかりでただ面倒くさいと思っていたけど、文章を読んだら意外と今でもわかる『あるある話』が多くて面白く、勉強が辛くなくなりました。」

A君は古文を読むのが楽しくなり、単語や文法の勉強が苦ではなくなったそうです。

言葉の通り、A君は文法・単語を覚えたことで文章が読めるようになり、その結果、より重要な知識やそうでないもの、考えれば導ける知識が選別できるようにもなって、効率よく勉強できるようになったと教えてくれました。

古文を読んで楽しいと思えるようになったことに加え、自分に必要な情報を選別できるようになったことで、勉強を苦痛だと思わなくなったようです。

さらにA君はこれを部活にも応用してしまいます。

古文では単語や文法の知識をもとに文章を読んだように、サッカーでは基礎トレーニングがどう試合でのプレーに生きるかを常に意識するようになったそうです。

自分の理想のプレーに対してどんなトレーニングが必要かを追求することでパフォーマンスが上ったと喜んでいました。

結果として、A君は成績が上がっただけでなく、部活でもレギュラー、副キャプテンにまでなりました。


「思考するクセ」で勉強が楽になります

「基礎」についてもう少し付け加えると、A君も意味がないと言っていた古典の助動詞を覚えることそれ自体には、確かにあまり意味がありません。

スポーツで言えば、無目的に筋肉をつけても意味がないのと同じです。

それでも、助動詞すら覚えていなければ、古文を読むことはもちろんできません。

読むことができなければ、読んだ先にあったかもしれない「発見」を得ることは、絶対にできませんよね。

確かに、大概の著名な古典には、現代語訳された本が山ほど出版されています。

それを読めば大体の内容はわかるので、原文を読む力はいらないとも思えます。

ただ、そのようにして読んだものは、しょせん借り物の知識です。

自分の血となり肉となり、「発見」を得られる知識には程遠いものです。

ですが、「全ての教科・科目でいちいち『発見』が得られるほど細かく勉強する」というのは理想論です。

わかっていてもできないのが勉強というものですね。

それに、現実的には時間がいくらあっても足りません。

さらに言えば、勉強は何も学校で学ぶ教科・科目に限られないわけですから、突き詰め始めたらキリがありません。

ここで伝えたいことは、そういう“思考するクセ”をつけよう、ということです。

「これを覚えたら何ができるのか?」
「これができたら何がわかるのか?」
「その先にどんな世界があるのか?」
これを意識的に考えることが身につけば、今までよりずっと、勉強が楽になるはずです。

そして、この“思考するクセ”自体は、机に向かう勉強に限らず身につけられます。

例えばゲームが好きな人。
お菓子作りが好きな人。
スポーツに打ち込んでいる人。
絵を描くのが好きな人。
歌が好きな人…。

それぞれの好きなものに、置き換えて考えてみてください。

好きなものは、自然とこのように考えていることもあるのではないでしょうか?

だから好きなことは上達しやすいし、上達すればもっと先をのぞこうとしますよね。

「好きこそものの上手なれ」とは、よく言ったものです。

A君の場合は、勉強が趣味に生きた例でしたが、逆パターンも十分あり得るし、さらにそれがもう一度趣味に生きることもあります。

こうしてよいサイクルができれば、「勉強ってよいかも」と思えるかもしれませんよね。


勉強を、「よい」人生を歩むアイテムにしませんか

どんな小さなことでも、積極的に取り組んだ先には新しい世界、「発見」が待っているものです。

小さな「発見」が積み重なれば大きな「発見」に繋がるかもしれません。

その「発見」が、世界的な新発見である必要はありません。自分にとっての大発見で十分なのです。

「発見」の内容は様々で、それが直接その教科をもっと勉強したいというモチベーションに繋がることもあれば、A君のように勉強に対する意識の変化が生まれる場合もあります。

「できた!」という成功体験自体が重要な場合もあるでしょう。

「覚える→使う→わかる」からの、「発見する」という知識+思考力のコンビネーションを、「よい」人生を歩むアイテムにしませんか?

これが、「勉強する意味」への一つの答えです。


※紹介した生徒さんの事例は、記事の趣旨を損なわない範囲で、個人の特定ができないように一部事実を変更しています。
※文中の写真は、全てイメージです。


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