元ひきこもり芸人 髭男爵 山田ルイ53世氏インタビュー 第1回(2/4)

元ひきこもり芸人 髭男爵 山田ルイ53世氏インタビュー 第1回(2/4)

家庭の集まりと「格付け」のし合い

地方では、周囲との比較の中で、家庭の「格付け」がされがち

安田:ご著書には、ひきこもりに対する地域からの風当たりの強さの話もありましたね。都会だと、隣人がどうとか気にしない感じなんですが、ご著書を読む限り、山田さんは地域社会のせいでますます苦しくなってしまった、ということなんでしょうか。

山田氏:田舎というか、地方は「町」なんですよね。渋谷とか新宿みたいな「街」ではなくて。グッとまとまっている場所。

「町」では、よそ様との比較で「うちはええ感じやな」となると思うんですよ。よその家庭のことをつまみにして、自分たちはどうやと位置決め、格付けをする。「あそこのおたくはお子さん失敗した。うちはうまいこといってる。幸せや」と。「町」の人たちは、そういう充足感の得方をどうしてもしてしまいます。だから、ひきこもりがいる家庭は格好の的だと思います。

もちろん、自分がひきこもりだったときに、ご近所の一人一人に「オレのことを的にして悪口言ってるやろ」と実際に確認したわけではありません。ですが、自分の家庭のことを考えても、うちの親もそういう会話をしていましたよ。「○○家の●●君は勉強ができなくてかわいそうや」とか。そんな中でひきこもりがいる家庭は、その共同体、その町の中ではしんどいことになるだろなと想像はつきますね。

地方でも都会でも、程度の差はあれ、親は比較をしてしまうもの

安田:では都会というか、「街」に住んでいれば、もうちょっと楽だったと思いますか?

山田氏:「街」は、「町」に比べれば、そんなにご近所さんに関心はないと思います。

ですが「街」でも、子どもがいて学校に通っている家庭だと、やっぱり比べるでしょう。そうすると、「町」がどうこうということではなく、もしかしたら学校にいってる子どもさんとその家庭という集まりの中で、(家庭や親のコミュニティができて、)お互い気持ちの中で「格付け」をし合うということなんでしょうかね。

自分が親になってわかりましたけど、うちの娘が運動会のかけっこで1位になったら、やっぱり嬉しいし、自慢げに思ってしまう部分はあるんです。一方で、負けた子の親御さんのことを考えたら、いろんな思いがあるだろうなと。

程度の差はあれ、親はよその子どもと比べてしまうものだし、いま親じゃない人も、親になったらそうなるんですよ。

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