不登校経験者が語る、当時の心境と親への思い

不登校経験者が語る、当時の心境と親への思い

学校が苦手なお子さんのための完全個別指導塾・キズキ共育塾の岡田和哉です。

お子さんが不登校になって「このままで大丈夫なのか」と不安ではありませんか?

私は高校時代に不登校になりました。

私の親は、最初は学校に行くよう強く言ってきたり、少し経つと腫れ物に触るような対応をしたりしていました。

当時の私は自分のことで精一杯で、また親への反発もあり、私と親の距離は離れていく一方でした。

ただ、今にして思えば、親は親で不安な気持ちや焦りでいっぱいだったんだろうなと理解できます。

今回は、そんな不登校経験者の私だから語れる、当時の心境や親への思い、そして私の今についてお話ししたいと思います。

この記事を読んで、当時の私の親と同じように不安や焦りを抱えるあなたが、お子さん(の将来)のことを少しでも前向きに考えるようになってくれたらうれしいです

共同監修・不登校新聞社 代表理事 石井志昂氏からの
アドバイス

学校へ行きしぶる。朝、起きられない。教科書さえ開かない。そんな子どもを目の当たりにすると、「無気力な子」に見えたり、「甘えている」とどうしても思えるでしょう。しかし、当事者である子どもが感じていることや見えていることは、周囲の大人と全く違います。

本コラムの執筆者は、無気力になった要因について、「小さな不自由がいくつも積み重なることがストレスになった」と書いています。

不登校やひきこもりの子どもは何に不自由をしているのかなどの当事者の考えや気持ちがわかると、その子が笑顔になる道筋が見えてきます。ぜひ読んでみてください。

高校入学から1か月、突然学校に行けなくなった

私が不登校になったのは、高校入学から1か月ほど経った頃でした。

当時の私はコミュニケーションにコンプレックスを抱え、人と話すことに全く自信を持てていませんでした。

そんな状態で高校という新しい環境に入ったので、何もできず、人とも話せず、ずっと自分の席に座っているだけで毎日が過ぎていきました。

そして、「具体的な何か」があるわけでもないのに、次のようなことを常に考えていました。

  • クラスメイトから声を掛けられても、うまく話せないのではないか
  • 何かミスをしてしまうのではないか

ずっと緊張した状態でいる毎日でした。回りの目を過剰に気にして、対人恐怖症のようになっていたのだと思います。

そして、高校入学から1か月ほど経ったとき、急に学校に行けなくなりました。

そのときのことは正直よく覚えていません。

恐らく、「常に緊張し続ける状況」に精神的に耐えられなくなって、学校に行けなくなったのだと思います。

そしてそのまま、ひきこもりにもなりました。

不登校になって広がった、親との距離

不登校になって、広がってしまった親との距離

私が不登校になった当初の親は、無理やり学校に連れて行くなど、結構強引な対応を取りました。

ただ私はそれでも学校には行けず、ある程度期間が経つと、親は「どうしたらいいかわからない」というように腫れ物に触るような対応になっていきました。

正直、私の場合、この腫れ物に触る対応は居心地がよかったです。

私は「親に自分のことをあまり話したくない」と思う性格だったからです。また、当時は「親にはあまり干渉しないでほしい」という思春期的な感情が強かったためでもあると思います。

ですが、親との考え方の違いの多さや、家庭での自由のなさは変わらず、全体的にはつらい環境でした。

「考え方が違う」とは、私が「学校に行く代わりに何々をやりたい」を伝えても、親からは「だったら学校に行け」と言われる、というようなことです。

「自由がない」とは、テレビがリビングにしかなく、親がいるときは恥ずかしくてアニメを見ることができない、というようなことです。

今から思えば「そんなことか」というものなのですが、ひきこもりになると世界が狭くなります

そのような「考え方の違い」や「小さな不自由」がいくつも積み重なることが結構なストレスで、ずっと家族にイライラしている日々でした。

これも今振り返ると、「親としても、どうしようもなかったろうな」と思います。

先述のとおり、私は「親に自分のことをあまり話したくない」という性格で、ひきこもりになってからも、自分のことを――考え方の違いについても、不自由についても――、親ときちんと話し合っていなかったのです。

当時は自分のことで精一杯で、「自分がきちんと話していないこと」に思いが至らず、「親はどうして自分のことを理解してくれないんだろう」と思っていました。

結果的に、私と親と距離は離れる一方で、ひきこもりからもなかなか前に進めない日々が長く続きました。

前に進めない日々は、つらいものです。
起きても布団から出られず、何もやる気が起きません。
日を追うごとに無気力になっていきます。

そんな日々でした。

不登校の子どもは「無気力の悪循環」の中にいます

不登校の経験者には、「不登校をきっかけに自信や希望を失い、無気力な状態に陥った」という人が多いです。

私自身もそうでした。

なかなか前に進めなかったり、それまでできていたことさえもできなくなったりすると、「自分は何もできない」「どうせ自分が何々をするのは無理なんだ」などと考えるようになりがちなのです。

一度そういう状態に入ると、どんどん無気力になる悪循環にハマります。

無気力の悪循環にいる人のことは、人からは「怠け」や「甘え」に見えることもあるでしょう。

ですが、不登校の経験者である私からは、彼らは「どうにかしたくてもどうにもできない苦しみ」の中にいる、ということをお伝えしたいです。

居場所に出会えたことで自信と希望を持つことができた

居場所に出会えたことで自信と希望を持つことができた

私が不登校・ひきこもり状態から立ち直るきっかけとなったのは、運よく「居場所」に出会えたことです。

ひきこもり生活を続ける中、独学での大学受験に失敗した私は、将来への希望を何も持てず、ただ無気力に生きているだけという状態でした。

そんなとき、小学生時代に通っていた地域のサッカークラブから「コーチのアルバイトをやらないか」と誘ってもらったことが、前に進むきっかけとなりました。

そのサッカーコーチのアルバイトは、担当学年を持たせてもらうなど、かなり自由に働かせてもらえる環境でした。

子どもをうまく指導したり、練習メニューを考えたりするのは大変でした。ですが、やりがいがあったし、何より「自分にもできることがある」と自信を持つことに繋がりました

それに、子どもたちが夢中になってサッカーを楽しむ姿は「不登校経験者だからといって、人生が終わるわけではない。もう一度自分も前に進んでみたいな」という希望を私に持たせてくれました。

そして、私は立ち直りの一歩を踏み出しました。

それから、アルバイトや社会活動に参加するなどして、今ではキズキ共育塾で働いています。

家庭が安心できる居場所ではなかった私は、こういう「居場所」と出会ったことで救われました。

不登校は、親子が向き合うよいきっかけにもなる

私の場合は、不登校・ひきこもりになってから親との距離は広がりました。

正直に話せば、今でも少しギクシャクした関係にあります。

一方、キズキ共育塾には、「不登校があったからこそ、親子でいろいろなことをきちんと話し合うようになり、(一時的にはギクシャクしたけど)家族の絆が深まった」という不登校経験者も多くいます。

保護者さまが「不登校は、子どもと向き合うよい機会」ととらえてお子さんと接することができれば、お子さんは家庭を「居場所」にして前に進むきっかけを掴めるようになります。

それでも、お子さんが私のような性格だった場合、なかなか心を開かないかもしれません。

また、お子さんのことを保護者さまだけ、家庭だけで対応するのは現実的ではありません(し、その必要もありません)。

ですが、私が不登校・ひきこもりだった当時にはほとんどなかった「不登校・ひきこもりの支援団体」が、今はたくさんあります。

そういう支援団体などの手を借りると、お子さんにとっても、そして保護者さまにとっても、不安を和らげ、より前に進みやすくなると思います。

一歩ずつ前に進んで行きましょう(キズキ共育塾でも無料相談を受け付けています)。

誰にでも、「前に進む力」があります

誰にでも、「前に進む力」があります

お子さんの将来への不安を抱えていると、保護者さまとしても前向きな気持ちを持つことが難しいのも無理はありません。

不登校経験者の私が保護者さまにお伝えしたいのは、「誰でも、前に進む力を持っている」ということです。

無気力に見えるお子さんも、「どうにかしたい」という思いを抱えています。

お子さんが前に進めないのは「怠け」などではなく、自信や希望を失って何をどうすればいいのかわからないからです。

「前に進む力」を、いつ、どうやって使うのかがわからなくなっているのです。

そんなお子さんは、「きっかけ」から「(小さな)成功体験の積み重ね」を経て、自己肯定感を持ち、将来への希望を抱けるようになれば、「前に進む力」を使えるようになります。

(なお、進んでいく「前」とは、「やりたいこと、夢、なりたい自分」の方向でも、「やりたくないこと・なりたくない自分から逆算した自分」の方向でも、どちらでもよいと思います。「『夢』を持とう!」という考え方に馴染めない方もいます)。

「悪循環」は「好循環」に変えられます

私は、悪循環は必ず好循環に変えることができると思っています。

私自身も、できることから少しずつ進んでいくことで自信を持てるようになり、前に進んでいるという実感を持てるようになりました。

私は今もコミュニケーションが苦手ですし、アルバイトでミスをすることももちろんあります。

それでも、前に進んでいます。

この記事を読んでいる方にも、お子さんに「前に進んでいく力」があることを信じて、将来を信じて前向きになってほしいと思います。

まとめ〜ひとりだけ、ご家庭だけで抱えこまないでください〜

ひとりだけ、ご家庭だけで抱えこまないでください

これまでのことを振り返ります。

不登校経験者である私の実感も含めて、不登校のお子さんは、無気力の悪循環にいることが多いです。

ですが、誰でも「前に進む力」を持っていますし、悪循環は好循環に変えられるということを、保護者さまには信じてほしいです。

とは言え、一度自信や希望を失うと(悪循環に陥ると)、取り戻す(好循環になる)ことは、なかなか難しいものです。

そのため、お子さんには、「前に進むことができる」と思える自信や希望を取り戻す手助け、きっかけが必要です。

家庭が安心できる居場所であれば、お子さんは家庭を足がかりにきっかけをつかんで、前に進んでいけるようになります。

そして「きっかけ」は、ご家庭だけで探すよりも、適切な第三者の支援があった方が見つけやすいです。

一人だけ、ご家庭だけで抱え込まず、誰かに相談してください。

キズキ共育塾には、不登校を経験してから「もう一度やり直すために」勉強し卒業していった生徒さんがたくさんいらっしゃいます。

少しでも気になるようでしたら、お気軽にご相談ください。それぞれのお子さんに応じて、より具体的なお話ができると思います。

※文中の写真は全てイメージです。

監修 / キズキ代表 安田祐輔

やすだ・ゆうすけ。発達障害(ASD/ADHD)によるいじめ、転校、一家離散などを経て、不登校・偏差値30から学び直して20歳で国際基督教大学(ICU)入学。卒業後は新卒で総合商社へ入社するも、発達障害の特性も関連して、うつ病になり退職。その後、不登校などの方のための学習塾「キズキ共育塾」を設立。経歴や年齢を問わず、「もう一度勉強したい人」のために、完全個別指導を行う。また、不登校の子どものための家庭教師「キズキ家学」、発達障害やうつ病の方々のための就労移行支援事業所「キズキビジネスカレッジ」も運営。

【新著紹介】

『学校に居場所がないと感じる人のための 未来が変わる勉強法』
(2022年9月、KADOKAWA)
Amazon
KADOKAWA公式

【略歴】

2011年 キズキ共育塾開塾(2023年7月現在10校)
2015年 株式会社キズキ設立
2019年 キズキビジネスカレッジ開校(2022年7月現在4校)

【メディア出演(一部)】

2022年 NHK総合「日曜討論」(テーマ:「子ども・若者の声 社会や政治にどう届ける?」/野田聖子こども政策担当大臣などとともに)

共同監修 / 不登校新聞社代表理事 石井志昂

いしい・しこう。
1982年、東京都町田市出身。NPO法人全国不登校新聞社代表。
中学校受験を機に学校生活が合わなくなり、教員や校則、いじめなどを理由に中学2年生から不登校。同年、フリースクール「東京シューレ」へ入会。19歳からNPO法人全国不登校新聞社が発行する『不登校新聞』のスタッフとなり、2006年から2022年まで編集長。これまで、不登校の子どもや若者、識者など400人以上に取材してきた。

【著書など(不登校新聞社名義も含む)】

「学校に行きたくない」と子どもが言ったとき親ができること(ポプラ社)』『フリースクールを考えたら最初に読む本(主婦の友社)』『学校に行きたくない君へ(ポプラ社)』『続 学校に行きたくない君へ(ポプラ社)』

【寄稿など(一部)】

AERAdot」「プレジデントオンライン」「東洋経済オンライン」「FRaU」など多数

サイト運営 / キズキ

「もう一度学び直したい方」の勉強とメンタルを完全個別指導でサポートする学習塾。多様な生徒さんに対応(不登校・中退・引きこもりの当事者・経験者、通信制高校生・定時制高校生、勉強にブランクがある方、社会人、主婦・主夫、発達特性がある方など)。授業内容は、小学生レベルから難関大学受験レベルまで、希望や学力などに応じて柔軟に設定可能。トップページはこちら。2023年7月現在、全国に10校とオンライン校(全国対応)がある。

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